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成り下がる※/夏油

※学生時代
 

先輩が目を合わせてくれなくなった。
一つ下のあきらのことをいつもよく気遣ってくれて、失敗をした時も落ち込んだ時もすぐ気付いては声をかけてくれた、組手やあきらの苦手な勉強にだって笑って付き合ってくれていた夏油がだ。

何かしてしまったんだろうか、と思って夏油と仲のいい五条に相談を持ちかけると、彼はあー、と語尾を伸ばして言葉を濁した。心当たりがあるらしい。
不安そうなあきらの頭を、多分本人なりに気を遣いながらポンポンと叩く。夏油先輩ならもっと優しく頭を撫でてくれたのにと、以前のことを思い出しながら、あきらは五条の整った顔を睨みあげた。

「痛いです」
「うるせー。まあ、お前が悪いわけじゃないよ。どっちかって言うと傑が悪い」
「……本当ですか」
「マジマジ。アイツ、大人ぶってるくせに時々俺よりガキだからなぁ」
「それはないです」
「あぁ?」

あきらがきっぱり否定すると五条は苛立ったような声を返したが、それ以上文句を言うことはなかった。ただ少し複雑そうな表情を浮かべて、ふてくされているあきらを見る。

「もうちょい待ってやって。そのうち元に戻るから」
 

**
 

「——猿め」

あきらは耳を疑った。

二人で出向いた任務の折だった。
あきらと夏油の間のぎこちなさはまだ続いていたけれど、そういった事情を考慮しない任務の割り当て方に、あきらは少し感謝もしていた。きちんと話をするいい機会だとも思ったので、これが終わったら、と考えながら呪霊を片付けている。
強めのものはいずれ夏油の力になるから、いつものように祓いはしない。呪具を振り回し痛めつけてから夏油を見ると、やっぱり目を合わせてくれない先輩はそっぽを向いて別の呪霊に向かってしまった。
あきらは少し悲しくなる。五条はああいってくれたけれど、やはり何かしたのではないか。あきらの知る夏油傑という人は、理由なくそんな態度をとる人間ではない。

「せんぱ……」
「助けて!」

耐えきれず呼びかけようとしたところに声が割り込んだ。あきらと夏油が驚いて顔を向けると、真っ青な顔をした女性が震えながら壁に寄りかかっている。
近くにいた夏油に、救いを求めるように走り寄ると、しがみ付いて助けて、化け物が、と繰り返した。
帳を下ろした時に、中に取り残されてしまったのだろう。それなりによくあることだ。

「あなたたち何かやってたでしょう!助けて、助けてよ!」

髪を振り乱して叫ぶ女性は完全に混乱している。理性というものがない。
眠ってもらったほうがいいかもしれないな、とあきらが考えたその時、鈍い音がして、女性がその場に倒れこんだ。
夏油が気絶させたらしかった。珍しく乱暴だが、わからない対応ではない。
とりあえず安全を確保しようと、あきらが駆け寄る。

「一旦外に連れて行って、補助監の人に預けてきます」

幸いあきらは力が強いし足も速い。すぐ行って帰ってこれる。
力なく横たわる女性の腕を取り、抱え上げようとするあきらに、夏油の声がかかる。

「……いいさ。そこに転がしておこう」
「えっ?」

あきらが目を丸くして夏油を見た。
照明を背にしているせいで顔が影になって、夏油の顔はよく見えない。

「呪術も扱えないくせに、騒ぐのだけは一人前だ」

あきらは絶句した。己の耳を疑った。
固まっているあきらを無視して、夏油は独り言のように先を続ける。
 

「——猿め」
 

幼い頃から掛けられ続けた言葉を、よく聞いた口ぶりで、夏油が言った。術式を持たない、体の強さが取り柄のあきらにからかいと蔑みを込めて囁かれた言葉を。

「夏油先輩?」

あきらはただ呆然としている。かすかに震える唇で、名前を呼ぶことしかできなかった。
 

『——術式は扱えなくとも、あきらにはできることがあるじゃないか』
 

笑ってそう言ってくれた優しい先輩は、もうどこにもいなかった。
目が慣れてやっと見えるようになった夏油の顔は、何かを堪えるように歪んで、あきらのことを見据えていた。