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強い子供

金曜の夜は理子と並んで、決まったテレビ番組を見る。
三人で住むには広い家の中のことを全て取り仕切っている黒井は、基本的に就寝が早いし、彼女の役割を理解している理子はそういうことで我が儘を言ったりはしない。
けれどまああきらならいいだろう、という理子の判断の元、この習慣は二年ばかり続いていて――。

「うむ。今週も面白かったな!」

そして、今日で終わる。

天内理子という人間がひとつの終わりを迎え、あきらが星漿体の護衛という長きに亘る任務から解放される満月の日まで、あと一週間を切っていた。

理子はあと一週間もしないうちにこの呪術界の礎との同化を終え、天元様などというよくわからないものとなる。
星漿体に同化後も意識があるのか、あきらは知らなかったが、あったとしてテレビ番組を楽しめるような状態ではないだろう。だから彼女にとって、これは最後なのだ。

突然の死とは違う。
予定された明確な終わりは、少しずつ彼女からいろんなものを奪っていき、あきらはそれを目の当たりにしていた。
花火はこの間が最後だった。
振り袖で着飾り、黒井が存分に腕を振るった正月も、ついこの間だった気さえする。

「……連れ出してやろうか」

言葉は驚くほど簡単に、あきらの口から滑り出した。
隣に行儀良く座っていた理子が、テレビのチャンネルを変えながら「んん?」と首を傾げる。

「どこにじゃ」
「どこでも」

うん、と一度だけ頷いてくれたらいい。
パジャマ姿の少女を見ながら、あきらは思う。
星漿体が何だと言うのだ。こんな少女一人犠牲にしなくては保てない平和なら、元からないものと見なした方がいい。
幸い同化の日は決まっている。その日の数時間だけでいい、理子を隠せば、天元の進化が始まってしまえば、理子は生きていられるだろう。
生き延びたとしても高専からの援助はなくなるだろうし、あきらも仕事や立場を失う可能性が高いが、やりようはあるはずだ。いざとなればどこか外国で、理子と黒井を養うくらいのことはあきらならできる。
だから頷けばいい、頷くだけでいいのに。

「では、そうじゃな、海に行きたい」
「…………」

ニッと理子は笑った。
悪戯っぽい笑い方だった。
理子は鈍い人間ではなかったから、あきらの意図はきっと通じている。それでも彼女は、あきらの提案には乗らなかった。

「……今行ったところで何にもないよ」
「いい。浜辺を歩いて、貝殻か何かを拾って、黒井とあきらにやろう」
「いらない」
「なぜじゃ!」

憤慨している理子を見て、あきらは少し笑った。

「……怖くないの」
「ない!」

あきらをキッと睨みつけると、理子がいつもの口上を述べる。天元様との同化は死を意味するものではない――意思は、心は、魂は生き続けるのだと。そんなもの誰にもわからないのに。
それはきっと強がりなのだ。あきらたち周りの大人は誰一人、彼女に星漿体としての役割以外を与えなかった。今更別の選択肢を与えようなどというのは、ただのあきらの傲慢で、自己満足に過ぎない。

「理子にだって嫌いな人間はいるでしょう」
「……う。うむ。まあ」
「前言ってた絡んでくる先輩とか。社会の教師とか」
「いるな」
「天元様になるってことは、呪術界の秩序を守ることだよ。ひいては弱者を守ること。嫌いな人間も含めてね」
「……それくらいのこと、妾がわかっていないとでも思うのか」
「…………」

握っていたリモコンを置いて、理子は体をあきらの方に向けた。
大きな瞳があきらを見る。時に苛立ちや怒りに染まり、時に涙を湛えた、この二年間見つめた目だ。成長期を迎え体つきは大人に近づいたが、その瞳は出会った頃から変わらない。
綺麗な目だった。

「もちろん、妾も人間じゃ。嫌いな人間などおらぬわけがない」
「…………」
「――それでも妾は天元様となり、地の底より皆を視る。黒井もあきらも友達も、……ちょっと腹の立つ知り合いだって、仕方がないなと思いながら守ってやる。そのための力を、皆に貸してやるのだ。妾の心の広さに感謝せよ!」

ビシッと指をさし、続いてわははと偉そうな笑い方を理子はした。普段なら頭のひとつも小突いてやるが、とてもそんな気にはなれない。

あきらはただ少しやるせないような、悲しいような顔をして、それから理子の頭に手を伸ばした。

時々やるように数回撫でてから、なんだかたまらなくなって、ぎゅっと細い体を抱きしめる。
あきらの珍しい態度に戸惑いながら、抱きすくめられた理子は何じゃと首を傾げた。

「……なら、この先何があっても、私は理子を守ろう。命に代えても、最期の時まで」
「…………ふん」

何を当たり前のことを、と理子は穏やかに笑った。顔を見せないあきらの背中を宥めるように、楽しそうにぽんぽんと叩く。ぐすっと鼻を啜る音がそのうち聞こえてきた。

「あんたは偉いよ、理子」
「今更じゃ!」

多分あきらは、この年の離れた少女のことを、本当の妹のように思い始めていたのだ。こんな時になってからしか、気づけなかったけれど。