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訓練方法について

教室に入ってきて伏黒の姿を見るなり、あきらは真剣な目をして顔の前で拝むように両手を合わせた。

「式神のしつけ方を教えてください」
「……は?」
「お願いします」

この通り、と頭を下げる同級生に困ったのは伏黒だ。珍しく困惑気味にいきなりどうしたと尋ね、まずは事情を聞くことにした。

「……今朝の話なんだけど」

あきらが眉間に皺を寄せた、難しい顔をしながら話し始める。

朝、いつものようにギリギリまで寝ているつもりだったあきらは、コンコンと部屋のドアをノックする音で起きたらしい。となれば当然ドアの向こうには誰かがいるわけで、待たせるわけにはいかないとあきらは寝ぼけ眼を擦りながら部屋のドアを開けた。
そこにいたのは、一つ上の先輩の、禪院真希だった。

「禪院先輩が?」
「うん」

問題はその先輩が、小さく溜息を吐きながら差し出してきたものだ。
それはなんとあきらが出している(らしい)犬神だった。

「起きたら布団の中で寝てたんだって。わざわざ届けに来てくれて」
「……そこまで勝手に動くものなのか」
「そうみたい……」

制御らしい制御ができていない。外見は無害そうだし、あきらにそんなつもりは勿論ないだろうが、二級呪霊を倒せるほどのものが勝手に彷徨くというのはいかんせん良いことではない。
確かに問題だな、と考える伏黒を余所に、あきらは「絶対呆れられたと思うんだよね」と深刻そうな顔をした。

犬神を差し出した真希の表情は怒ってはいなかったが、笑ってもいなかったし、溜息からしておそらく少なからず呆れを抱かれている。
今回はいいとして、回数がもし重なることがあれば、さすがに怒られるかもしれない。

だから式神のしつけ方を知りたいのだと、あきらはそう結んだ。

「しつけ方って言ってもな」

式神は喚びだした本人の呪力が元で構成されているのだから、基本的に言うことは聞かせようとするまでもなく聞くものだ。伏黒の術式は調伏の課程が必要だが、一旦その段階が終われば、使役に苦労したことはない。
あきらのような場合の方が例外なのだ。

「……力にはなれないと思う。悪い」

そっかあ、とあきらがあからさまに肩を落とした。
伏黒が、役に立つかはわからないが、と前置いて続けた。

「そういうことなら呪力のコントロールを学べばいいんじゃないか」
「呪力のコントロール?」
「ああ。要は寝ている間とか、出てきてほしくない時に出てくるから困るんだろ」

あきらはぱあっと顔を明るくして、伏黒頭いい!と褒め讃えた。

「じゃあ、その呪力のコントロールってどうやって身につければいいんだろう?」
「…………」

そういえばそっちもあまり苦労した覚えがない伏黒が押し黙った。

けれどなんとか、五条先生に聞いてみればいいんじゃないか、という建設的な案を絞り出す。あきらはなるほどと頷いて、早速教室を出ていった。
 

呪力の勉強ってどうやってやるんだろう、とあきらは廊下を歩きながら考える。
編入するときにここは呪いを学ぶ学校だと教えられたけれども、ここで一週間ほど過ごしたあきらにはそんな実感が未だにない。
何回か行った呪術実習では呪いと呼ばれる奇妙な生き物をたくさん見たし、言われたことも伏黒と一緒にやり遂げたが、実際の呪霊退治は全部犬神たちが勝手にやったのだ。あきらが何かをした、という意識はなかった。

「呪力のコントロール?」

職員室となっているこちらも小さな部屋で、ソファーに腰掛けてくつろぐ五条が、あきらを見上げた。こういうことがあって、と説明するとなるほどねえと頷く。

「というかそもそも呪力のことがわかってないので、何か、本とかあるとありがたいんですけど……」
「あるにはあるけど」
「ほんとですか!」

あきらが目を輝かせると、五条は面白そうに笑って、あきら、昔の字って読める?と聞いた。

「草書体だっけ?こう、筆で書いたようなやつとか」
「そうしょたい……」

よく飲み込めないことに直面すると、幼い発音で繰り返すのはあきらの癖らしい。わかりやすいなあと、五条が喉の奥でくつくつ笑う。

「まあ、そんなの頑張って読むよりは実践の方がいいと思うよ。呪力についてはわかってないことも多いしね」
「でも……」
「やり方は色々あるけど、荒っぽいのはあきらには無理だろうから……そうだな」

瞑想でもしてみようか、と五条が続けた。

「自分の部屋とか集中できそうな場所で、自分の体を巡る呪力をまずは自覚する。それができたら流れを感じる。流れを変える……そんなことでも充分、今のあきらにはいい訓練になる」
「その、呪力っていうのがまずはわからなくて、困ってるんです」
「……あきらってさ、心の底から怒ったことある?」

唐突に、繋がりがあるのかどうかわからないことを尋ねられて、あきらが首を傾げた。ちょっと考えて、わかりません、と答える。

「じゃあ、心の底から怖いと思ったこと」
「? ない気がします」
「悲しいとか憎いとか」
「うーん……」

ぴんとこない様子のあきらに、五条は随分平和に過ごしてきたねと感心したように言った。前にも同じようなことを誰かに言われたような気がして、あきらはさらに首を捻る。

「まあそれはいいか。今後過ごしていく中でそういうこともあるだろうし。でもじゃあ、んー……」

顎に手をあてて、五条が考えるような仕草をした。
こうして相談してみれば、案外真面目に答えてくれるのだから、五条も悪い人ではないと思う。ちょっといい加減だし、結構説明が足りないけれど。

「あ、そうだ」

何か思いついたらしい五条があきらに笑いかけた。あきらが期待を込めた目で五条を見つめる。

「犬神って複数いるんだよね?それぞれ違うんだっけ?」
「え、あ、はい」

あきらはよく周りをちょろちょろしている犬神たちの姿を脳裏に浮かべた。確かにみんな真っ白な毛並みをしているし、体型は同じなのだが、目の数が違ったり、尻尾の形が違ったりと差異はある。もっとも、全部で何匹いるのかはあきらも把握していないし、ある程度しか見分けはつかない。

「じゃあさ、こうしよう。瞑想して、これだって思った犬神を一匹だけ喚ぶんだ」
「一匹だけ?」
「自分の思った時に思ったものが喚べるなら、前進じゃない?」

呪力の存在を意識するのは忘れずにね、と五条が言って、訓練法を伝授されたあきらはよくわからないながらも頷いた。
とにかくできることをやらねばならない。これ以上真希先輩に呆れられないようにするぞ、とあきらは意気込んだ。
 

**
 

共有スペースのソファーでくつろいでテレビを見る真希の姿を見つけ、伏黒は今朝のあきらの話を思い出した。
まさかそんな些細なことで怒るような人でもないはずだが、本当のところはどうだったのか、と少し興味が沸いたのだ。
近づいて、「禪院先輩」と声をかけると、眉間に皺を寄せた真希が振り返った。

「おい恵。名字で呼ぶなっつってんだろ」
「今朝の話なんですけど」

謝ることもなく本題に入ろうとした伏黒が言葉を止めた。真希の膝の上に、ぬいぐるみのような何かがあるのに気づいたからだ。

「先輩。それ……」
「ああ。その辺うろちょろしてたから捕まえといた」

言いながら、眠っているらしいそれの顔を指先でつつく。後で届けてやるか、と呟いた顔が優しげなものだったので、伏黒は少し驚いた。

「で、なんだよ」
「……何でもないです」

おい、と追いかけてくる声を無視して、伏黒は自分の部屋へと向かった。
どうやらあきらの心配は杞憂に近いものらしい。折角やる気を出したらしいあきらにこのことを話しておくか、黙っておくかは迷うところだ。