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それから

伏黒が捜し当てたとき、あきらは明かりもないその空間でただ一人、静かに横たわっていた。呪霊も、いつも周りをちょこまかと動き回っている犬神の姿もない。
顔色は悪く、目覚めそうにもなかったが、とりあえず生きていることに一旦は安堵して、伏黒はなんとか意識のある釘崎と共に、あきらを領域の外へと連れ出した。

あきらは昏々と眠り続けた。

家入の常駐する医務室で、いくつかあるベッドの一つに横たわり、ずっと目を覚まさなかった。
 

「……ん」

うっすら目を開けると知らない天井が見える。
あきらはびっくりするほどすっきりした気分で起きあがった。キョロキョロとあたりを見渡すと、「起きたか」と落ち着いた女性の声がした。

「家入先生」
「体はどう?痛みや違和感は?」

投げかけられた質問に首を傾げて、腕を回してみた。なんともない。
ただ、何故医務室で寝ていたのかがどうにもわからない。

「ないです。えっと……」
「三日だ」
「え?」
「高遠が寝てた時間」
「ええ!!?」

そんな馬鹿なぁ、と笑って見せたが、家入は至って真顔だった。どうやら嘘ではないらしい。黙り込んで、みっか……とよくわかっていない顔で反芻する。

「お前たち四人が英集少年院に出向いてから三日だ。特級に会敵し、釘崎と高遠がはぐれたところまでは伏黒が報告をあげている。そこから何があったのか、覚えてるか?」

ゆっくりした口調の説明を受けて、あきらは段々と思い出してきた。そうだ。あの奇妙な空間で、伏黒と虎杖の言い争いと、無惨な遺体に気を取られて、あきらと釘崎は一瞬でみんなと引き離された。そこから――。

「……気がついたら真っ暗なところにいて。何もいないのに、怖くて仕方がなかったことは覚えてます」

犬神が、あきらの恐怖に応えるように何匹も何匹も現れたこと、あきらの言葉で、群れのようになったその白い固まりが、暗闇に向かって突撃していったことも思い出した。
たどたどしく話すあきらに向かってお茶の入ったコップを差し出しながら、家入が頷いた。

「犬神は、術者の本能の写し身のようなものだ」
「……本能?」
「そう。だから高遠の言うことをあまり聞かない。だからこそ、強い力を持つ。……一種の縛りだな」

強い恐怖が引き金になって、限界まで呪力を使い切ったんだろう、と家入は推測した。

「これはとても危険なことだ」
「そうなんですか」
「呪力を使い尽くして、それでも足りないような敵に出会ったら、命を使うしかなくなるだろう」

瞑想は続けること。
今回、自分の意志で犬神を使うことには成功しているから、何となくコツはわかっただろうし、収穫はきっとあるはずだ。

言葉の意味はまだよく飲み込めていないが、重大なことを言われていることはわかった。あきらは神妙な顔でこくこく頷いて、なんとなく自分の両手を見る。

あ、と家入が何か思い出したような声をあげた。

「二人に知らせてやらないとな」

心配してたぞ、と家入はからかうように付け加えた。

とりあえず用意してもらったおしぼりで、顔を拭って気持ちよさに息をついていたあきらは、バン!という大きな音を聞いて体を強ばらせた。
目を向けて音源を確かめるまでもない。扉の方向には怒ったような顔をしてこちらにズンズン歩いてくる制服姿の釘崎がいた。その後ろにはジャージ姿の伏黒が続いている。

「の」

ばらちゃん、と言い切る暇もなかった。高専の制服の黒い生地があきらの口を塞ぐ。釘崎は言葉もなく、ただベッドの上に起きあがっていたあきらをギュウギュウ抱きしめた。

「いたい……」
「うるさいわよ。この馬鹿」

痛みを訴えても釘崎は離してくれない。困ったあきらは遅れて近づいてきた伏黒を見つめたが、彼はため息を吐いただけで、釘崎を止める気はなさそうだ。その表情が随分優しいのにあきらは気づいていない。

「あれ、虎杖は?」

釘崎の背中をポンポンと叩きながら、見当たらないもう一人の一年生のことをあきらは尋ねた。

「実習?」

釘崎が一瞬びくっと反応したので、不思議に思って首を傾げる。

「…………高遠」

伏黒があきらを呼ぶ。目を伏せて、重い口を開いた。
 

**
 

数日ぶりのお風呂に一人でゆっくりと入りながら、あきらは戸惑っていた。
伏黒ははっきりと、虎杖は死んだと告げた。
そのことは悲しい。悲しいはずなのに、どうして自分は泣けもしないのか。

思えばあきらの周りに、これまで身近な人の死はなかった。両親はまだ健在だし、祖父や祖母は物心つく前に亡くなっていたのでショックを受けたような記憶はない。友達だってそんな不幸に見舞われたことはなかった。
あきらの知る死は少年院で見た遺体くらいだ。

「薄情なのかな」

ポツリと呟いた言葉は、他に誰もいない広い浴場によく響いた。

風呂から上がったあきらは、制服に着替えて五条の元に向かった。今日は任務もないらしく、すぐに見つかった担任教師は元気に動くあきらを見て笑顔を浮かべる。

「おはよう、あきら」
「おはようございます」
「病み上がりなんだからしばらくは無理しないようにね」
「はい。……あの、ちょっといいですか」

聞きたいことがあって、とあきらは眉尻を下げた。

あきらは医務室で釘崎と伏黒の二人と話をしたことと、虎杖が死んだと聞かされたことを話した。その様子に悲しみが見て取れず、五条はおや、と思う。

犬神のことを思い出した。
今回の任務に入る寸前、あきらの犬神が入らせまいと扉の前に立ちはだかったということは伏黒から聞いている。
ひょっとしてバレてるのかな、と、目下高専の敷地内、とある地下室で修行に励む生徒のことを考えた。

まあそれならそれで。
すぐさま開き直った五条はあきらの質問とやらを待つ。
困った顔で、あきらが口を開いた。

「どうしても実感がなくて」
「実感」
「信じられないんです」

まあ死んでないからね、とは言わない。あきらが視線をさ迷わせてから、五条を見上げた。

「お墓とかって、ないですか」
「…………どういうこと?」
「私、お別れも言えなかったので、せめてお墓参りくらいはしたいと思ったんですけど……」
「……」

五条は少し考えた。縋るような目でこちらを見上げてくるあきらを見ながら、方針をとりあえず決めた。
真面目そうに見える表情で口を開く。

「……あるけど、悠仁の家のお墓って仙台だからね。遠いよ」
「…………そうなんですか」
「まあ、東北ならそのうち実習で行く機会もあるだろうから、そのときに行こう」

二人も連れてね、と言ってやる。あきらは少し戸惑ってから、はい、と頷いた。

ありがとうございましたと頭を下げ、肩を落として歩いていく後ろ姿を見ながら、嘘は言ってないよと心中で嘯いた。悠仁の家のお墓、と言っただけだし、仙台にあるのも嘘ではないのだ。

いまさらこれくらいのことで痛むような心は持ち合わせていない。

「交流会、楽しみだなあ」

五条が楽しげに呟いた。
胸に穴が開いて死んでしまったはずの同級生が、本当は生きてました!となった時、あの三人はどんな顔をするだろう。
楽しいサプライズが成る未来を考えると、今から笑いがこみ上げてくるというものだ。