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名前を決める

不便だなあ、と思うことが増えた。
犬神のことである。
今まであきらが過ごした十数年では、周りにこの奇妙な生き物が視える人間など一人もおらず、当然人前で犬神を指して話をする必要はなかったわけだ。
自分一人の時はもちろんじゃれついてくる犬神と遊んだり部屋で好き勝手しているのを咎めたりはしていたけれども、それだっておいでとか、こらとか言えば済むことで、特に呼称はいらなかった。

「うーん……」

ちょうど本日の成果として出てきたばかりの犬神を抱き上げ、そのふわふわした毛並みを撫でてやりながら、あきらは難しい顔をした。

名前、名前かあ、と続ける。

今までと違って、高専には視える人しかいなかった。
先輩や窓の人、補助監督の人、待機や仕事で高専にやってくる呪術師の人たち、彼らはみんなその辺で機嫌よく遊ぶ犬神をその目に映している。
間抜けな外見につられてかそれなりにかわいがられてもいるようで、そういう人たちはあきらが主人だと知るとごく普通に尋ねてくるのだった。名前は?と、まるでペットの飼い主に尋ねるように。
あきらは当然口籠もる。
小さい頃はわんわんとか呼んでいたらしいが、今のあきらはもう16だからそんな呼び方はできない。
なのでないんです、と答える。
何故かそれを聞いた人がそうですかとがっかりした顔をするので、あきらは最近ちょっと、名前を聞かれるのが気まずく感じるようになってきていた。

「まあ、名前も一種の呪いだからな」

唐突な相談に、伏黒は付けてみたらいいんじゃないかと答えてくれた。
編入して最初、呪術のことなど何もわからないあきらにも呆れず笑わず、いろいろと教えてくれたのは伏黒だったので、あきらは彼の答えに絶対の信頼を置いている。
犬神犬神と格好いい呼称で他の人に呼ばれるのも気後れしてしまって嫌だった。

「…………よし!」

付けよう!とあきらは決めて、腕の中にいた犬神を目の高さに掲げた。
状況を理解していない犬神が短い手足をだらりとのばしたまま、不思議そうな顔をした。(ように見えた。)
 

**
 

機嫌のいいあきらが部屋から談話室に降りてくると、夕食を待ついつもの面々はすでに揃っている様子だった。スマホを見たり本を読んだりテレビを見たりと各々好きに過ごしている中で、伏黒があきらに気づく。

「決まったのか」

あきらはうんと嬉しそうに頷いた。
二人の会話が結構唐突だったので、狗巻と並んでテレビを見ていたパンダが何がだ?と尋ねる。

「名前ですよ、犬神の」
「あー」

まだ付けてなかったの、と釘崎が呆れるように言った。いつの間にか足下にやってきた犬神をソファーにのせてやり、真希が頭を一撫でする。

「で、何にしたんだ」

みんなにじいっと見られて、あきらはえへへと照れたように笑った。

「しろです」
「また……えらく普通の名前だな……」
「白いので」
「そうだけど」
「え、変ですか?」

目の数が違ったりとそれぞれ違いのある犬神にも共通点はある。白いこととふわふわしていることだ。その辺りを考慮したのだが、あまり先輩方の反応がよくないことにあきらは焦った。
え、と戸惑いだしたあきらに別に好きにすりゃいいだろと真希が言う。

「お前の術式だろうが」
「しゃけ」
「は、はい」
「で、じゃあそいつはなんつーんだよ」

いつの間にかもう一匹出てきていた三つ目の犬神を、真希が顎で指した。あきらはえ、と首を傾げる。

「えっと、しろですけど」
「……そいつもか」

なんだか呆れたような空気が周りに流れた。

変えたほうがいいのかとあきらはしばらく悩んだが、真希が言った通りあきら自身の術式なのだし、何より他に思いつかないので、結局のところ犬神はしろと命名された。
犬神にもそれが名前だという認識はあるようで、しろだのしろちゃんだの呼ばれては、声の主に向かって突進していく。
おすわり、お手に加えて名前まで決まり、ますますペットのようになっていくあきらの術式だった。