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夢を見た/夏油

※学生時代
 

朝からあきらの様子がおかしい。
共用の洗面所にタンクトップに短パンという無防備極まりない格好で現れた時には、さすがに寝ぼけすぎだよと声をかけたくらいだ。しかしあきらの方は声を掛けた夏油には見向きもしないで、大きな鏡に映った自分の顔を真剣な顔でまじまじと見つめていた。横を向いたり自分の頬をつねってつついてみたりとやっている同級生に、痺れを切らしたらしい親友が口を出す。

「そんなに見たって今更鼻は高くなんねーよ」
「は?」

訝しげな表情で振り返ったあきらが、五条を睨んだ。と思うとすぐに顔が呆けたように緩み、「あんたほんっとに変わらないよね」となぜだか呆れたような声で言う。今度は五条がはあ?と尋ねる番だった。

「あきら、あきら」
「ん?夏油?」
「いくら何でもその格好はまずい」
「へ?」
「そーだよ着替えてこい。見たくもないもん見せんな」
「何が…………あ」

眉を寄せた五条が口を尖らせて顔を背けた。夏油も倣って目を逸らす。
あきらもやっと自分の格好に気付いたようで、少し顔を赤くしてごまかすようにえへへと笑った。
部屋に帰ろうと踵を返したあきらにホッとしていると、バタバタ足音を立てながら一つ下の後輩たちがやってきた。

「先輩方、おはようございます!」
「おはようございます」

二人揃ってのご登場だ。おはよう、と優しく返すと嬉しそうに灰原が笑った。七海の方は低血圧らしく、朝は更にテンションが低い。いつものことだ。

「は……」

とっくに部屋に帰ったと思っていたあきらが肩越しに振り返り、何故か目を見開いて足を止めている。視線の先には灰原がいて、見られた後輩は不思議そうに首を傾げて見せた。

「灰原じゃん!!」

あきらが大声をあげて、どかどかと灰原に歩み寄る。えっ!?と当然状況を呑み込めていない灰原は驚いて一歩引いた。あきらはそれを気にも止めず、一つ下の後輩に抱きついた。
何十年ぶりに再会した恋人か何かにするようにぎゅうぎゅうと抱きしめられて、灰原が目を白黒させている。どうしていいかわからず浮いた手がうろうろと迷っていた。真横の七海も突然の奇行に驚いて固まっている。

「せ、せんぱい」
「はいばら、グスッ、久しぶり」
「昨日も会いました!っていうか、その、先輩、むっ胸が」
「寝ぼけるのもいい加減にしろよこの馬鹿!!」

何故か泣きながら抱きついているあきらの頭を、五条が結構強めに叩く。痛い!と悲鳴を上げながらも、あきらはなかなか灰原から離れなかった。
 

**
 

あきらの様子がおかしい。
それは任務中も同じだった。
二人で出向くことになった実習で、人里離れたところにある心霊スポットの呪霊を掃討する。
あきらの戦い方が妙だ。具体的に言うとするなら、いつもよりもずっと思い切りがいい。普段なら引くところで一歩踏み込む、ギリギリを攻める。それができないのがあきらの欠点だと夏油は勝手に思っていたから、いきなり一皮剥けた様子の同級生を見て感心より疑念が沸いた。
あきらのようであきらではない、そんな印象がある。

「よいしょっと」

最後の一体に止めを刺して、あきらは体を引いた。塵になって崩れていく呪霊を見ながら、「今日はどうしたんだい」と尋ねてみる。あきらがえぇ?としらばっくれた。

「なんにもないけど」
「朝からずっと変だよ」
「…………」

あきらがくるりと背を向ける。

「変な夢見ただけ」
「夢?」
「うん」

あきらの声からは、感情が伺えなかった。少し早足で横に並ぶとやっと表情がわかる。それにしたっていつものあきらよりずっと落ち着いていて、まるで大人の女性のようだった。
補助監督の待つ外に向かって歩き出しながら、あきらは続けた。

「色々なものを失って、大人になる夢」
「……へえ」
「夢の中でずっと後悔してんの。あの時ああすればよかった、もっと強かったらよかった。もっと話をしてればよかった、ってさ」

寂しがっているような困っているような、形容しがたい笑顔をあきらが作った。背の高い夏油の顔を見上げるようにして、「あんたとももっと話せばよかった」と眉尻を下げる。
よっぽどリアルな夢だったらしい。
夏油は少し驚いて黙り込み、暫く言葉を探してから、「よかったじゃないか」と言った。
あきらがぱちぱちと瞬きをする。

「なんで?」
「なんでって。現実じゃなくて、夢でよかっただろう?話ならこれからいくらでもすればいい。今日は実習も早く終わったしね、お茶くらい付き合うさ」

笑いかけると、あきらが一瞬泣きそうな顔をした。すぐに笑顔に戻って、そうだね、と笑う。

「流行のタピオカでも飲むかぁ」
「そんなもの流行ってたっけ?」
「……」

あきらはごまかすように下手な口笛を吹いた。夏油はそれを聞いて、全然吹けてないよ、と笑った。
 

**
 

昨日に引き続き、あきらの様子がおかしい。

また洗面所だ。今日のあきらは昨日とは違い、きっちり制服に着替えているが、なにやらどこかぼーっとしていた。鏡の中の自分の顔を叩いては、ほっとした表情を浮かべている。

「あきら、おはよう」
「だから鼻は高くならないっつってんだろ」

声を掛けると振り向いて、五条の顔を見ては「あんたほんと変わらないよねー」と昨日も聞いたようなことを言う。はあ?とまた五条が訝しげな声を上げた。

「昨日から何なんだよ」
「昨日?」
「同じこと言ってたろ」
「そうだっけ?」

首を傾げるあきらはうーんと少し考えて、どうでもよくなったのかまあいいやと呟いた。変な夢見てさあ、と眉を顰めて話し始める。今度はどんな?と夏油が尋ねた。

「大人になる夢」
「またかい?」
「またって何?それより聞いてよ、私一級術師になってたよ」
「へー」

そりゃ夢だな、完全に、と面白がった五条が茶化す。イラついたらしいあきらが五条の足を蹴ったが無限で防がれていた。あきらが益々腹を立て、小競り合いが始まりそうになったところでまた、バタバタと後輩の足音が響く。今日は七海はいないらしい。

「おはようございます!」
「ああ、おはよう」

元気良く挨拶をしてきた灰原は、あきらの姿を認めると顔を赤くして一歩後ずさった。昨日のことは忘れていないようだ。警戒した様子の後輩に、あきらが首を傾げて、どうしたのと問いかける。

「い、いえ……何も」
「オマエが痴女みたいなことしたからビビってんだよ馬鹿」
「はあ!?」
「あーあ。かわいそ〜」

あきらがどういうこと!?と叫びながら灰原の顔を見た。顔を直視できないらしい灰原は口をぎゅっと噤むと、目を逸らす。

「え…………マジで何!?何があったの!?」

あきらの様子はどうにもおかしい。
助けを求めるように見られた夏油は、まあ確かに昨日はひどかったね、と面白がるように教えてやった。