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過去に託す/五条

ある朝、高遠あきらはよくわからない夢からふと目を覚ますと、自分自身がなんだかちょっと若返っていることに気づいた。
 

「……は?」
 

髪の長さが慣れたものと違う。胸がいつもよりちょっと小さい。こないだ負って治りを待っていた傷が、手当のあとごとなくなっている。

明かりがなく薄暗い部屋の中、枕元を探るとあったのはスマホではなく昔懐かしの二つ折りの携帯電話で、開くと画面が小さくて驚いた。手の中のそれは、見た目だけなら違和感だらけだというのに妙に手に馴染む。
日付は2006年。まだぼんやりしている思考の中、それがいつだったかを考える。2007年の一年前なら、二年の春だ。

よく目を凝らして見回せば、そこはあきらが五年を過ごした高専の寮の部屋だ。家具の配置にベッドのシーツ、棚の小物、何もかもに覚えがある。

「……駄目だわからん」

とりあえずどうすればいいかわからなくなって、外の空気でも吸おう、とベランダに出る事に決めた。
ガラガラと大窓を開けると、隣から「おはよ」と聞き覚えのある声がかかる。

「……」
「すっごい寝癖」

こちらも随分若い、高専二年の家入硝子が、朝の一服とばかりに煙草をくわえてあきらを笑っている。ふう、と息を吐くと白い煙が空に向かってのびた。

「……タバコ」
「ん〜?」
「禁煙したんじゃなかったっけ」
「禁煙?」

あきらが尋ねると、家入はあははと笑い、しないしない、一生しない、と楽しそうに言う。
あきらは真面目な顔をして、首を横に振る。

「多分するよ。十年もしないうちに」

あきらの意味深な言葉を聞いた家入が、だいぶ寝ぼけてんね、と小首を傾げた。

 
**

 

あきらは深く物事を考えない質である。

今この状況が夢なら夢でいいし、現実としてまたやり直していくならばそれでもよかった。
やり直したいことなんていくらでもある。あともう少し、何かが違っていればと思ったこともたくさん。誰にも言えなかっただけだ。
この自分の意識がどこに行ったのかはわからないが、今ここにいる自分だって、少し時間がズレているだけで本人であることは間違いない。なら何をしようと勝手だろう、と思う。

なんだかんだ言ってもここは過去だ。知った世界ではある、というのもまた大きく、あきらの心を落ち着けていた。
呪術師にとって高専時代というのは人間関係のかなりの部分を形作る期間だから、先生にしろ同級生にしろ補助監督にしろ、知った顔はとにかく多い。

というか喚いてみても変わらないのだし。頬をつねっても何も変化はなかったし。なんか肌がめちゃくちゃ若いし。

そういうわけで、あきらが過去の自分とやらになんとなく馴染むのに、そう時間はかからなかった。

あっという間に夕方である。

多分この頃は手こずっていただろうレベルの呪霊をちゃちゃっと無傷で倒してみたり、驚く夏油にガッツポーズを決めて笑われてみたり、あきらの知る今にはもういない後輩を見つけてちょっかいをかけてみたりと、あきらは結構楽しく一日を過ごした。

任務を早く終えた分余った時間は散歩に回し、学内を歩き回る。
ちょうどいいなと思って上った木の枝から眺める夕日は美しく、それこそ夢のようだった。

「あきらー」

ふと下から名前を呼ばれた。視線を落とすとそこには夕日に染まって茜色を帯びた白頭がある。
出張と聞いていたのだが、ちょうど戻ってきたようだ。なーに、と聞くと少しむっとした顔で、こちらを見つめた。

「降りてこいよ」
「やだ。後もうちょっと」
「なんで」
「面白いから」

この時すでに見上げるほど背の高かった五条のつむじを、こうして見下ろせるのは少し楽しい。ケラケラ笑うあきらの声はやっぱりからかいのようなものを含んでいたから、五条はますますむっとしてあきらを上目遣いで睨みつけた。
目が合って、しばらくそのまま見つめ合うと、次第に五条の様子が変わる。みるみるうちに怪訝そうな目つきになって、五条は一歩後ずさった。

「どしたの?」
「……オマエ……」

青い目が明確に警戒と不審の色を映している。
きょとんとしているあきらを睨み、五条が口を開いた。

「誰だよ、オマエ」
「…………」
「あきらじゃねーだろ」

自分を見下ろし、目を見開いて固まるあきらを見て、五条は眉を顰めた。
しばらく間を置き、あきらはやっとぱちぱちと瞬きをした。

「なんでわかんの?」
「……ッ」

返答を聞いて、五条がどうしようとしたのかはわからない。押さえつけようとしたのかもしれないし、距離を取ろうとしたのかもしれなかった。けれど行動に出る前に、あきらは軽い掛け声と共に、座っていた枝から地に降りた。

スカートに付いた埃を手で払ってから、少し腰を落として構えている五条に向き直り、口元を綻ばせる。

「やっぱこの頃の方が小さいのか」
「はあ?」
「今見るとかわいいような気もする」
「はああ!?」

今度は五条が固まる番だった。にこにこと機嫌良く言った後、あきらは自分の異変に気づく。
ちょっと、眠くなってきた。

「…………やっぱりずっとは無理なのかぁ」
「オマエマジで何なわけ!?」
「さあ、わかんない」

喚きながらも、警戒しているのか五条は近寄ってはこなかった。くすりと笑って、あきらは中空を見つめた。考え事をしている。段々強くなる眠気を押さえ込み、五条、と口を開いた。

「……んだよ」

乱暴な口調で、苛立たしげに五条が答える。

「今年の星漿体の任務、できれば受けない方がいい」
「あ?」
「来年の八月、七海と灰原に入る地方出張は、あんたか夏油が行って」
「何言って……」
「来年の九月は」
「オイ!」

声を荒げる五条に構わず、あきらは続ける。

「夏油を絶対に一人にしないで。ずっと一緒にいてあげて」

五条の顔は疑問でいっぱいだ。あきらの意図が通じたかは怪しい。その間にもどんどん眠くなって、けれどこれだけは言っておきたかったから、あきらはまだ耐える。

「あと……最後に」

 

**

 

言いたいだけ言って、その場に崩れ落ちたあきらに慌てて駆け寄る。あきら、と呼んで顔を見ると、あきらはいつも以上にのんきな顔で、すうすう寝息を立てて眠っていた。
先ほどまでの違和感は既にない。
いつもの、いつも通りの高遠あきらだ。

「……なんだコイツ…………」

眉間に皺を寄せてしばらく寝顔を見つめていた五条だったが、段々バカらしくなってきてため息を吐いた。
ったく、と悪態をつきながら、目覚めそうにないあきらのぐんにゃりとした体を背負う。
背中に柔らかい感触が押し当てられていることについては必死に無視をして、さっき掛けられた言葉を思い出していた。

 

——もし全部駄目で、たくさん失っても

 

さっきのあきらは変だった。知らない大人の顔で、五条を慈しむように見つめていた。

 

——自分を信じて進んで。必ずみんな、ついていくから

 

ううん、とあきらが背中で唸る。まだ起きないつもりらしい。五条の背中に頬を擦り寄せている。

「……」

このバカ、と罵ってもあきらは起きない。目が覚めたら覚えとけよと大して本気でもないことを、ごまかすように五条は言った。

 

**

 

起きたら目の前に五条の顔があった。
どうもソファーで眠っていたらしい。あの頃とは少し形の違うサングラスをかけて、あきらを見下ろしながら、「何ぐーすか寝てんの」と五条は言った。

「…………かわいくない」

思わず比べて出た発言に、五条がああ?と凄んだ。
どう見てもかわいいしかっこいいグッドルッキングガイですけど、とふざけたことを言っている。あきらは無視して伸びをした。
ふわあ、と欠伸が出る。

「……夢だったのかな」

それにしては妙に現実味のある夢だった。まだ何も失っていなかった頃の、何かを失うことが自分にあるなんて、想像もしていなかった頃の夢だ。
ふと五条の顔を見ると、さっき見たのと同じ、怪訝そうな表情を向けられた。
なんだか笑ってしまう。

「何?まだ寝ぼけてんの?」
「いや。ちょっと面白い夢だったから、浸ってんの」
「珍しくセンチメンタルだね」
「たまにはねぇ」

そっと目を閉じて、まだ少し幼さの残る五条の顔を思い出す。
ついエゴを押しつけてしまった。ごめんね、と口の中で謝る。

たくさんのものを取りこぼして、あきら達は今にたどり着いた。誰か一人が悪かったわけじゃない、失ったからこそ得られたものもあるのだし、あきらは今の自分も嫌いではなかった。
でも。

「——夢見るのは自由だよねえ」

あきらの生きる世界はもう変わらない。
けれど、何かひとつでもなくさなかった世界が、どうかあの先にありますように。

 

あとがき
冒頭少しカフカの変身をもじったつもりでした。最初だけ知ってる。
渋谷事変で夏油じゃないって見抜いたみたいにちょっとの違いに気づいてほしいな〜と思って書きました。