Skip to content

2007年11月/五条と補助監督

「うわっ、今の熊じゃないですか?」
「えっウソ、マジ?」
「見てなかったんです?絶対熊でしたよ!」
「地図見てんだもん。あ、しばらくまっすぐね」

手元に開いていた地図から目を離し、助手席の五条は遠く過ぎた後ろを眺めている。結局見つけられなかったらしく、元の通り前に向き直ると、もっと早く言ってくれたらよかったのにとあきらに向かって文句を言った。まったく礼儀のなっていない学生だ。

 

担当の補助監督として、あきらが五条に同行することが決まったのは数日前のことだった。
初対面の学生はあきらに会うなり、値踏みするような目を向けて、まずは一言「ふうん」と呟いた。不躾な態度に少しイラっとしたあきらの気持ちを知ってか知らずか、五条は次にこう尋ねた。

「アンタ、運転得意?」

補助監督にとって車の運転というのは結界術とかそういったものに次いで重要視される技能である。はあまあ、と答えたあきらににっこりと機嫌良く笑って、「ならよかった」と五条は答える。

「……何がですか?」
「任務終わったら行きたいとこあってさ」
「はあ?」

訝しげな表情のあきらに、五条はくるりと踵を返して、我が物顔で黒塗りの車に乗り込んだ。

 

本来の任務を、元々その為に割り当てられていた期間の半分にも満たない時間で片づけて、五条悟はあきらを次の目的地へと促した。いくら早く終わったからといって、果たしてそんな観光みたいなことをしていいのかと不安になったあきらは上に指示を仰いでみたが、答えは好きにさせるようにとの一言だった。ニコニコわざとらしく笑う五条が何か手を回していたのかもしれない。

そんなわけで、出発から数日経った今、あきらはどことも知れぬ夜の山道を、五条の案内でひた走っている。

「……あとどれくらいで着くんですか」

長時間の運転に疲れてきたあきらが、助手席で地図を眺める五条に尋ねた。んー、と軽い声が返る。

「そろそろだと思うけど」
「はー……。大体こんなところに何があるんです。五条家の坊ちゃんが興味を示すようなものは何も……」
「……その坊ちゃんっての次言ったらぶっ飛ばす」
「すみません……」

右側の細い道入って、と次の指示を出す五条にハイハイと頷きながら、あきらは再び運転に集中する。
夜の闇の中で道を見逃さないよう、眉を顰めて注意を払うあきらに、五条は何気なく言った。

「村があるんだよ」
 

**
 

少し開けた広場のような場所にたどり着き、五条はそこで車を止めるように言った。嫌な予感に顔を歪めたあきらに向かって、「ここから歩き」と宣言する。

「…………」
「ちょっとだけだって」
「…………」
「なんか文句あんの?」
「けっこうたくさん」

正直に答えると、五条が屈託無く笑った。
苦虫を噛み潰したような顔で車を降り、やけくそ気味にドアを閉めたあきらは、ふと周りの景色に既視感を覚えた。

「どうかした?」

周囲を見回したあきらはいえ、と言い掛けて、躊躇ってから口を開き直した。

「見覚えがあるような気がして」
「……そうかもね」

今夜は月が明るい。夜は深く、冬も近いとはいえ、まだ生き残っている虫たちが、か細く鳴いていた。先を行く学生の背中を追いかけながらも、あきらは違和感を拭えない。
月明かりに照らされた坂道を上りきると、視界が開けた。そこには小さな集落がある。あきらはそこでやっと、はっきりと思い出した。

「ここ……」
「アンタも調査に来ただろ」

ここは。
そうだ。
特級術師、夏油傑が最後に訪れた村だ。

地方の小さな、閉鎖的な集落で起こった呪霊による事件の解決のために、彼はここへ出向いた。
そこで何があったのかはわからない。
あきらが知っているのは、ここで暮らしていた村民のことごとくが殺されたということだ。
無惨な遺体をたくさん見た。子供を庇った形で死んでいる母親らしき遺体を見た。体の四散した遺体を見た。ぽっかり開いた口から、彼らが発した断末魔が今にも聞こえてきそうだった。
これを高専で幾度か見かけた十代の少年がやってのけたなんて、とても信じられないほどの惨状だった。

「……どうしてわざわざ、こんなところに」

喉から疑問を絞り出すあきらの顔は、きっと青ざめていたに違いない。
肩越しに振り返ると、五条はさっきまでとは違う、真剣な瞳をあきらに向けた。

「見たかったから」
 

——夏油傑と彼は、親友だったのだという。
 

そうですか、とあきらは頷いた。

惨劇の後は綺麗に片づけられている。時間は残穢さえ拭っていった。もうここはただの廃墟に過ぎない、それでも。

人の気配のない、死んだ村へと踏み入る五条の後を追う。月の光に照らされた白い髪がぼんやりと光り、あきらは目を細めた。

 
それでも彼にとってはきっと、必要なことだったのだ。