※学生時代
年末年始に実家に帰ることになってしまった。
去年は嫌だ無理の一点張りでなんとかやり過ごせたのだし、今年も学生は忙しいんだよとかなんとか適当なことを言ってそうするつもりだったのだが、小さい頃から世話をしてくれた婆ちゃんに悟様お戻りくださいと電話越しに泣かれてはどうしようもない。
わかった帰る帰ると慌てて言って、30日までに、とちゃっかり切られた締め切りにも頷く。電話を切った後、親戚との挨拶と食っちゃ寝ばかりだった過去の年始を思い出して、あーダル、と五条は肩を落とした。
そんな経緯で30日、補助監督に頼んで取って貰った新幹線の隣の席には、何故かぶすっと膨れている高遠あきらがいた。
「……オマエも帰んの?」
「……」
五条は時間ギリギリまで寮でだらだらしていたのだが、あきらは結構早めに出ていたらしい。座席の前に荷物を置いた一つ下の後輩は、窓の外を見ながら「別々で取ってくれたらよかったのに」と質問にも答えず小声で文句を言った。
「ハア?」
「なんでもありません」
眉を吊り上げると案外あっさり撤回する。隣に座った五条にちらりと視線を向けて、「五条先輩こそ帰るんですね」と言った。
「……まあ、たまには」
「よく了承しましたね」
「…………泣かれたんだよ」
眉間に皺を寄せながら答えると、あきらは少し間を空けてから、ハッと馬鹿にしたように笑った。むっとした五条が「オマエはなんで帰る気になったわけ」と尋ねれば、また窓の外を見ながら答える。
「30日……今日までに帰らなければ、母が力尽くで連れ戻しにくるそうです」
「ハ、逃げ切る自信がねぇから戻るってわけね」
「……泣き落としに引っかかる先輩に言われたくないです」
「んだと?」
いちいち喧嘩を売ってくる後輩である。一応公共の場だし、帰省ラッシュで周りには人がたくさんいるしでいつも通り買ってやるわけにもいかない。ここは先輩の余裕で怒りを流し、五条は溜息を吐いた。
京都までの二時間のおやつとして持ち込んだ土産物の包装をバリバリ破り、中の一個を手に取る。
「……私にもください」
「やだね」
「……」
この後やっぱり窓際に座りたくなった五条が、「席替われよ」と言うと、あきらは仕返しのように、「嫌です」と突っぱねた。
**
特に自分がいなくても支障がない年末年始に、帰ってこなければ連れ戻すとまで言って強引に呼び戻したのだから、それなりの理由はあるのだろうと嫌な予感はしていた。
新幹線で同じく実家に戻るところの一つ上の先輩に出会したことでその予感はさらに確かになり、実家でも申し訳程度の大掃除をして、年を越してとしているうちに段々強くなっていく。
年明け、自分付きの世話係に手伝われて晴れ着を着る段になって、あきらはようやく確信に至った。
「……どこか出かけるんですか」
あきらの低めの声に、びくっと反応した世話係が「ええ、初詣がございましょう」と笑顔を取り繕う。見覚えのない晴れ着の柄を見ながら、「振り袖、新調したんですね」と尋ねればどこか自慢げにはい、と頷く。
「何故?」
「な、何故、とは?」
「何か理由があるのかと思って」
訝しげな目を向けるあきらにウフフ考えすぎですよお嬢様と声をかけると、彼女は声を上げて人を呼ぶ。髪と、あとお化粧も、と続いた言葉にあきらはうんざりと溜息を吐く。忙しく働く女性達を見ながら、財布にいくらくらいお金入ってたっけ、と関係のないことを考え始めた。
身支度を念入りに整えられ、これもまた気合いの入った様子の両親に連れてこられた先はやっぱり初詣などではなかった。
「……ここ」
「あきら、早く行きますよ」
「……」
初めての店だ。一目で長い歴史を越えてきたんだなとわかる門構えの日本家屋だった。どことなく朽ちている。
この料亭は味はもちろん庭もまた自慢なのだと案内の人間に説明された言葉の通り、広い庭園を横目に板張りの廊下を歩く。辿り着いた先の部屋には、先に着いていたらしい今回の相手が三人揃って座っていた。
真ん中に座らされているぶすっとした顔の少年を見て、やっぱりな、とあきらは思う。
五条悟だった。
一緒にこちらまで帰ってきた一つ上の先輩だ。泣き落としに屈したと語っていたどこか甘い先輩が、袴を着せられて不機嫌さを全面に表情に出しまだ何も置かれていない机をじっと眺めている。
「ああ、高遠さん」
傍らに座っていた壮年の男性が声を上げると、跳ねるように青い瞳がこちらを見た。ぽかんと開いた口が馬鹿っぽい。
「申し訳ありません、遅くなりまして」
「いえ、こちらが早く着きすぎたのです」
両親に視線で促されたあきらは真ん中に座った。自分を封じるように両隣に座る両親はニコニコと笑いながら、向かいに座る三人に朗らかに話しかけている。端に座る男性、女性が応じる中で、真ん中の五条だけが呆けた顔であきらを見ていた。
まあ結局は見合いなのだ。
別に珍しいことでもない。血と術式を後世に残すことにだけに拘る術師家系の両親にとって、子の結婚相手を早めに見つけておくことは何にも優先すべきことである。
正面から目的を知らせればあきらが逃げるのはわかっていたから、こんな風にだまし討ちのような真似をしたのだろう。
馬鹿みたいだなあと思っていたら、行儀良く置いていた手を母に抓られ、あきらはイッと声を上げた。
「どうされました?」
向かいの優しそうな女性が、心配そうにあきらに問いかける。どうやら水を向けられていたらしい。いえ、と咳払いをしてから、あきらは笑顔を作った。
「すみません、緊張していて。五条先輩とこういった形で引き合わされるとは思ってもいなかったものですから、なんだか調子が狂います」
「無理もない。うちのもどうやら同じ心境のようだ」
ハハ、と笑った後、父親なんだか五条家の当主なんだかよくわからないその人は、庭でも見てきたらどうか、と五条を見た。まだ食事が出てくるまで時間があるのだという。どうやらここは五条家御用達の料亭らしく、彼にとっては慣れた場所らしい。
「なんで俺が」
「ありがたいです。よろしくお願いします」
文句を言い掛けた五条の声をかき消すように、あきらが頭を下げる。五条はまた不機嫌そうな顔でこちらを見ると、渋々立ち上がった。
「なんで大人しく来てんだよ」
「先輩こそ」
案内とはいえ造られた川も池も、置かれた石もいい感じに生えた木も、何もかもに興味がない。スタスタと進むあきらの後ろを歩きながら、あーあと五条が息を吐いた。なんで正月早々こんな、とかぶちぶち言っている。
しばらく歩き回った後、すっかり見えなくなった親たちのいる方角をちらりと見て、あきらは「先輩」と声をかけた。
「んだよ」
「私そろそろ行きますね」
「……はあ?」
目を瞬く。青い瞳があきらを驚いたように見た。あきらは「初詣に行ってきます」と続けた。
「逃げるっつってる?」
「人聞きの悪い。元々そういう話だったんですよ」
こんなことだろうと思っていたから、手荷物とは別に、懐に小さめの財布を隠している。土地勘はないがタクシーを使えばどこにだって行けるだろう。
だまし討ちにはだまし討ち、家の関係など知ったことではないし、罪悪感もない。ここまで連れてきたのだしと油断した両親が悪いのだ。
平然としているあきらをしばらく呆けたように見て、五条は不意にニッと笑顔を浮かべた。作り笑顔を浮かべていたあきらと異なり、今日初めての笑顔だった。
「いいな。行くか!」
「五条先輩は誘ってないです」
「はいはいうるせぇ。裏から出るぞ」
途端に生き生きとして、こっち、と手招きする五条の後を、渋々あきらは追いかける。手を取られたが、振り払う理由もなかったし事実歩きづらい格好ではあったので、されるがままにしておいた。
そうして逃げ出した二人は、この後のことなんてもちろん何も考えていなかった。
──二人で逃げるほど仲が良いのだから、このお話、進めてしまって構わないわよねぇ?
夕方、鬼のような形相の母に出迎えられるとは露知らず、束の間の自由を謳歌する。
「げ、末吉。あきらは?」
「…………凶……」
「結びに行こーぜ」
「そうしましょう」
玉砂利を蹴散らしながら、ゲーセンでも行くかあ、なんて話をする二人は、すっかりいつもの調子を取り戻していた。