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狗巻の真意

狗巻棘は話さない。

喋れないわけではない。ただ彼は古くから存在する呪言師の末裔で、呟く言葉のひとつひとつが望まずとも力を持ってしまうから、能力を制御できなかった小さいころの名残で今も不用意に喋ることはしないのだそうだ。
肯定や否定のかわりに口に出すのはおにぎりの具である。慣れているパンダや真希はそれでも何となく会話を成立させるが、学期の途中から編入してきたあきらはまだおにぎりの具に篭もった意味がわからず、ろくに意志の疎通も取れていない。

だからそんなことを聞いても無駄なのに、とあきらは目の前の狗巻と、向かい合うように立っている大男を見てぼんやり思う。

「おまえ、どんな女が好みだ?」

何かのゲームのラスボスのような形相で、東堂葵がもう一度、ゆっくりと尋ねた。
無駄だって。聞いても返ってくるのはおにぎりの具だって。

ていうかどうしてこんなことになったのだ。

東堂葵は京都校の一つ上の先輩である。
京都の人間が何故こんなところにいるのかというと、週末に追っかけているアイドルのライブがこっちであるのだそうだ。ついでに仕事をし、はた迷惑なことにこっちの後輩と適当に遊んでから帰るのだという。
さっきまではパンダが組み手の相手をしていたのだが、ぶっ飛ばされて壁に叩きつけられた拍子に腕が駄目になり、治しに行くと言って消えてしまった。
先輩たちもなんとかしてくれそうな真希も、東堂のお目当てだった乙骨も今日は実習だから、ここにはもう狗巻とあきらしかいない。

「聞こえてんのか?」

あきらははっと我に返った。ぼーっとしている場合ではない。好みのタイプなんて聞かれてもおにぎりの具で答えられるはずはなく、狗巻はずっと黙っていたようだ。東堂が少し苛立っていた。
あきらは慌てて前に出ると、「狗巻は呪言師なので、普通の会話が難しいんです」と事情を説明した。

「呪言師……ああ、お前がそうか」
「そうなんです。なので好みを聞くなら、二択にしてもらえると……」

それも随分間抜けだな。と内心思ったところで、狗巻が「おかか」と言った。

「え、何?」

腕を掴まれ、東堂の正面に差し出される。背中をトンと押されて、一歩前に出た。

「しゃけ」
「は?」

そのおにぎりの具がどういう意味を持っているのか、聞こうにも解説役は今いない。
あきらは一旦正面を向いてみた。

「……」

近くに寄ったことで、威圧感の増した東堂が目前に迫っている。あきらはそこでやっと自分が身代わりに差し出されたのだということに思い至った。

「……」
「と、東堂せんぱい」
「ああ?」
「私、背の高いイケメンが好きです。東堂先輩のような。なので見逃してください」
「…………」
「失礼します!!覚えてろよ狗巻!!!」

全力疾走でその場から離脱を図る自分の後ろ姿を見ながら、「……まあがんばれよ」「……こんぶ」という会話が交わされていたことに、あきらはちっとも気づかなかった。