※学生時代
一年の夏のことである。
その日の呪術実習は、難易度によってグループ分けがされているものだった。五条と夏油、硝子とあきらが組んで、それぞれ補助監督に連れられて現場へと向かう。
あきらたちが当てられたのは結構近場だったから、その分終わるのは早かった。途中寄ってもらったコンビニでジュースとお菓子を買い、教室に戻る。そのままだらだらと報告書を書いていた時、不意にバンとドアが開く音がした。
驚いて顔を上げると、明らかに険悪な雰囲気の男二人が、それぞれ不機嫌な顔をして立っている。
これまた余計な音を立てて五条が、いつも通りの夏油が自分の席に座った。
あきらと硝子は顔を見合わせて、お互い嫌そうな顔をしてみせた。嫌な予感がしたのだ。
「……夏油、オマエさあ、いい加減そのいい子ちゃんやめたら?何の点数稼ぎなんだよ、見ててイラつく」
果たしてその予感は当たる。頬杖をつき、夏油の方を決して見ないまま、五条が先に口を開いた。
「点数稼ぎなんてしてないさ。君の方こそ、何のつもりか知らないが、悪ぶるのは止めた方がいいんじゃないか」
「ハア?誰が悪ぶってるって?」
「君がって言っただろう」
あからさまに機嫌が悪い五条、煽っているのか薄笑いで言い返す夏油。教室の雰囲気は最悪である。
元々この二人は、出会った最初から折り合いが悪かった。
人を助けるために呪術師としての道を選び、呪術高専にやってきたと言った夏油を五条はご立派〜と鼻で笑っていたし、御三家である五条家の嫡男として生まれながら、家が退屈でだるかったから逃げてきたとあっけらかんと言った五条に、夏油はだいぶ呆れているようだった。
二人の間に圧倒的な力の差なんてものがあれば、上下という形にしろ一応関係は落ち着いたのかもしれないが、幸か不幸か二人の力はどうやら拮抗していて、ぱっと見ではどちらが上かわからない。だからいつまでもいつまでもいがみ合う。
春からずっとそんな調子の二人に、いい加減あきらたちもうんざりしている。
「どーする」
「外出といた方がいいかな?」
ひそひそと女子同士で相談するあきらたちには全く気づかずに、横の二人はエスカレートしていく。
ガン、と五条の机が倒れ、驚いたあきらの肩がびくっと跳ねた。
「……今日夜蛾もいねーし、ちょうどいいだろ。外出ろよ。一回しっかり決着付けとかねぇとな」
「私はいいけど、後悔しても知らないよ」
「あぁ!?」
「随分自信があるようだけど、君が勝つとは限らないだろ」
なんでここまで本気で喧嘩できるんだろう。こめかみに青筋を立てて睨み合った二人は、正規の手段で外に出る時間も惜しいようで、ぐちゃぐちゃと言い合いながら窓へと向かっている。一応外でやる理性があってよかったようなそうでもないような。止めた方がいいのかなーとはらはらしながら硝子を見ると、彼女はお手上げ、と言う風に両手を広げた。
**
五条の言った通り、担任の夜蛾先生は出張中だったので、呪術を使ってまでやり合う二人を止められる人間は、残念ながらどこにもいなかった。
やめなさいっと叫ぶ職員も特級二人の呪術合戦に割り込めるほど怖い物知らずではなかったし、ちょっとした式神なんかで遠くから止められるような二人でもない。
五条の術式は夏油の使役する呪霊を次々と押し潰し、夏油は数の強みで五条の気を散らしては攻撃をたたみかける。なかなか見る機会のないハイレベルな争いに、木々は無惨に折れ、ハリボテの寺社仏閣がおもちゃのように崩れていく。
「あ、また」
「何個目?」
「わかんない」
もはや二人の現在地は破壊の様を見ることでしか確認できない。書きかけの報告書を放り出し、教室の窓に椅子を寄せて、崩れた建物の数を硝子と数える。
さっき担任に電話して、五条と夏油の喧嘩について報告したら、しばらくの沈黙の後(血管切れそうな表情が目に浮かぶ)、絞り出すような声で「わかった。いいか、止めようとするなよ。自分たちでやめるまで手を出すな」と言われたので、大人しく従っているのだ。
「夜蛾先生、怒ってたねえ」
「ゲンコツ確実だねぇ。ていうかこれ、いくらなんでも怪我するんじゃないの、あの二人」
「硝子、治すの?」
「え、やだ。無駄遣いだもん」
喧嘩の怪我って保険きかないんだって、と硝子が豆知識を教えてくれた。だから治さない、と続いた言葉がどう繋がっていたのかはわからないが、あきらはとりあえずなるほど、と頷いた。
**
翌日医務室を訪ねると、仲良く並んだ二つのベッドを、満身創痍の同級生たちが陣取っていた。
「オマエ反転術式使えるんだろ。治せよ早く」
「えー」
医務室のベッドを占領しているうちの一人、五条が不機嫌そうに言う。腕を布で吊り、顔や入院着の下に覗く包帯が痛々しい。と言うか実際だいぶ痛いらしく、機嫌が悪いのはそのせいだった。
一応様子を見に来た硝子が嫌そうな顔をして、そのまま「やだ」と言う。
「なんで」
「喧嘩の怪我は保険きかないから」
「はあ?」
「夜蛾先生に言われてるんだよ。治すなって」
「はああ?」
あきらが口を挟むと五条が高い声で抗議した。
それを無視して、五条の隣のベッドを占領している夏油──こちらも至る所に手当のあとと、足に重そうなギプスをくっつけている──に向かってため息を吐いた。
「夏油も、夜蛾先生帰ってきたら覚悟した方がいいよ。相当怒ってたから」
「だろうね。あきらたちにも申し訳ないことをした」
「あっオマエまた自分一人だけいい子ぶりやがって」
「もーやめなって五条」
全く懲りていない。
ぶちぶちと文句を言う五条を呆れた目で見て、「しばらく医務室で反省してろって、夜蛾先生が」と伝言を伝える。五条が顔いっぱいに嫌そうな表情をした。
「コイツと?」
「そう」
「指さすのをやめてくれ」
「あきらー、そろそろ時間」
「そうだった。行こうか」
「実習かい?」
「うん」
「あ、外行くならついでになんか菓子買ってこいよ、なあ!」
後ろから追いかけてくる声を無視して、硝子と連れだって廊下を歩く。
昼下がりの日差しが古い木造の校舎を照らし、外を見れば昨日の破壊なんてなかったかのように、またハリボテの建物がぽつぽつと配置されているのが見えた。
「男ってほんとバカだよね〜」
硝子が間延びした声で言った。
どうやらあきらと同じような印象を持ったらしい。
五条は憎まれ口を叩いていたけれど、それでも、昨日までは確かにあったピリピリした雰囲気が、今の二人には微塵もないのだ。憑き物が落ちたようにきれいさっぱりなくなっている。
多分あと数日も二人で過ごせば、もしかするとすごく仲良くなったりするんじゃないだろうか。
「迷惑だしねぇ」
「ホントホント」
深く頷きながら、隣を歩く硝子を見る。
五条たちのように喧嘩なんかをするようなことはないけれど、それでもまだぼんやりと、彼女と自分の間に残っている壁のことを思う。
「仲良くなっても迷惑だろうけどね、あの二人」
「た、確かに……」
これから先を想像して口の端が引き攣る──でもちょっとだけ、男二人のことが羨ましかった。殴り合うのはごめんだが。
多分大怪我したの二人ともこれが生まれて初めてなんだろうなと思います。
骨折治るの流石に待ってられないので、一週間後くらいに夜蛾先生に言われて渋々治す硝子さん。