「伊地知、これ」
と担当の呪術師であるあきらが任務終わりに差し出してきたのが、どう見てもどこかの家の鍵だったので、伊地知は目を点にして頭上に疑問符を浮かべた。
へ、と間抜けな声を出して首を傾げる。伊地知の疑問は上手く伝わっていないらしく、あきらは同じく疑問符を浮かべると、伊地知と同じ方向に首を傾けた。
妙な案配だ。
「えっと……あきらさん」
「うん」
「何の鍵ですか」
「私の家」
なるほど。いやなるほどではない。
何故自宅の鍵を差し出されたのか、全然さっぱりわからない。
「明日からしばらく出張だから」
「は、はい、それは知っていますが」
「猫をね」
「ね、猫?」
「お願いします」
珍しく頭まで下げて、あきらは伊地知にもう一度鍵を差し出した。困っていても助けてくれるような相手は周りにいない。ていうか人がそもそもいない。
伊地知は遠慮がちに手を差し出して、あきらの手のひらに乗った鍵を取った。
あきらが猫を飼い始めたのは知っていた。二ヶ月ほど前だったか、今回のように仕事の補助を担当した時に、道すがら車の中で聞いたのだ。
家の近くの草むらの中に隠れて、親を呼んでいるのかにゃーにゃーと鳴いているのに気がついたのだと言う。最初は放っていたのだが、気になって後で様子を見に行ったら声は少し前よりも弱々しくなっており、つい拾ってしまったのだと、あきらがぽつぽつ話してくれたのだ。
伊地知はそれを聞いて、いいですねえ~と花を飛ばして答えた。
動物は癒しだ。猫はかわいい。仕事で疲れきったときなど猫の動画を延々と見ていたりする。
私も何か飼いたいなあ、とぼやいた伊地知に、あきらは少し沈黙してからそう、と返した。
一体そこからどういう思考で、伊地知に鍵を渡そうと思ったのだろうか。
マンションの一室、あきらに渡された鍵で入ったそこで、ねこじゃらしを振り回しながら伊地知は考えた。
ニャアフギャアと興奮気味に鳴きながら、おもちゃを追いかける猫はたまらなくかわいい。
最初は警戒気味だったのだが、遊んでくれる人と見なした途端に懐くようになってくれて、かわいい。
世話を頼むと言いながら、餌や水については自動で補充してくれる機械を設置してあった。だから伊地知にできることは、トイレの掃除とかこうして遊んでやることくらいだ。
あとは猫の写真をとにかく撮って、あきらに送ってみるくらい。
喜んでいるのかいないのか、あきらからは短くありがとうという返事がいつもある。
「……」
遊びに飽きた猫が、にゃあんと甘く鳴いて伊地知にすり寄ってきた。ざりざりとねこじゃらしを握ったままの伊地知の手を舐める。思わず顔がだらしなく緩んだ。
「癒しだ……」
にゃーお、と猫が伊地知を見上げて鳴いた。
**
出張を終え、キャリーケースをゴロゴロ引きずって家まで帰ってきたあきらは、自分の家の窓が明るいのに気がついた。
電気がついている。誰かがいる。
もちろん誰かと言っても、合い鍵なんて渡しているのは伊地知くらいなので、彼しか心当たりはない。
鍵を開け、玄関に荷物の入ったキャリーを置いた。
リビングが明るい。
「ただいま」
久々にこんな挨拶を口に出した気がする、と思いながら声をかけると、ソファーに座っていた伊地知らしき頭がびくりと反応した。
ゆっくりこっちを振り返り、あきらさぁん、と情けない声であきらを呼ぶ。
「……どうかしたの」
「こ、この子が」
そう言って視線を自分の膝の上に落とす。歩み寄って後ろからのぞき込むと、そこには自分の猫がいた。
伊地知の膝の上に丸まって、ぷーぷーと小さく寝息をたてている。
「動けないんです……」
こんなに長居をするつもりは、と肩を落としたのを見て、あきらは小さく吹き出した。
「随分懐いたね」
そのまま伊地知を放ってキッチンに向かい、コップを二つ取り出す。冷蔵庫を開けると水しかなかったが、まあいいかと手に取った。
どうすればいいですかぁと困り切った声が追いかけてきたので、もうちょっとそのままでいたらと面白がって答えた。任務では頼りになるのに、少し気を抜くとこれだから、伊地知は面白いのだ。
水を差し出しながら、ペットは飼い主に似るものだから、と言ってやると、伊地知は諦めたような顔であきらを見て、マイペースですもんね、と苦笑する。
「……伝わらないなあ」
「え?」
「なんでもない」
飼い主の溜息なんて露知らず、猫は気持ちよさそうにくうくう眠っていた。