弟が死んでしまった。
事故だったらしい。
警察から引き渡された遺体には体の一部がなくて、傷口を隠すように白い包帯が巻いてあった。これが直接の死因なら、きっととても痛かったろうに、どうしてか死に顔は安らかで、あきらは不思議だった。
一晩経って葬式の日、泣き疲れて窶れた母は放心状態で、父が支えていなければ立っているのも難しい状態だった。
あきらもつられるようにしてたくさん泣いたけれど、あと数時間もすれば灰になってしまう弟の体を前にしてもどこか実感が沸いていない気がする。
夢を見ているみたいだ。
お姉ちゃん、と今にも起き上がってくるのではないかと、またいつもの笑顔を浮かべて、時々腹が立ったりなんかして、元の生活に戻れるのではないかとさえ思えた。
「あきらちゃん」
親戚の人が痛々しそうに、心ここにあらずのあきらに声をかけた。誰に話しかけられてもまともに返事ができない状態の母に気遣わしげな視線を送ってから、この度はと決まり文句のような挨拶をする。あきらはぺこりと頭を下げた。
子供の死には悲しみばかりが付きまとう。
向こうも何を言えばいいのかわからず、戸惑っているような雰囲気があった。
適度に相槌を打ち、下を向いているあきらに、そういえば、と思い出したように彼女は続けた。
「外にあきらちゃんと同じ年くらいの女の子がいたけど、お友達?」
あきらは顔を上げて、首を傾げる。弟の訃報は学校で先生が伝えたらしく、目の前の彼女と同じく、気遣わしげな連絡がいくつか来ていた。しかし葬式にやってくるという話はなかったはずだ。
少し見てきます、とあきらは言って、父親を見る。話を聞いていたのか小さく頷いてくれたので、あきらはその場から離れた。
外には叔母さんの言った通り、見慣れない制服を着た女の子がいた。
綺麗な子だ。
学ランのような制服がよく似合っている。
彼女はきゅっと唇を引き結んで、眉間に皺を寄せた怒っているような表情で入り口を見て仁王立ちをしていたから、あきらは話しかけるかどうか少し迷った。
けれどそのままにしておく訳にもいかないので、勇気を出して口を開く。
「あの、」
「……」
「弟のお葬式に来てくれたの?」
女の子はじろりとあきらを見て、唇を緩めた。
「……あの子の家族?」
その声は堅く、あきらは遠慮がちにうん、と頷く。
「あなたは?」
ちょっと答えに困ったようだった。視線を一度下に向け、一つ息を吐いてから、あきらを真っ直ぐに見据える。
「……事故の時、近くにいたの」
「……そうなんだ」
「私はあの子を助けられなかった」
この世界に生きている人の中で、一体どれだけの人が、人の命を助けるなんてことができるだろう。そんなのは一握りで、この子が思い詰める必要はないはずだ。あきらがもしその場にいたとしても、弟を助けることはできなかっただろうとあきらは思う。
けれど目の前の彼女は、自分のことを責めていた。険しい顔をしているのは怒っているからではなくて、きっと悔しさを噛みしめていたのだ。
あきらは驚いて、「ううん」とただ首を横に振った。
「ありがとう。助けようとしてくれて」
自然に出てきた感謝の言葉を聞いて、女の子の顔が泣きそうに歪む。あきらはぎょっとする。
「ごめん、何て言えばいいかわからなくて、」
「名前は?」
「え?」
「あんたと……それから、あの子の名前」
唐突な質問にあきらは口籠もった。何の意味があるのかわからなかったが、真剣な眼差しに導かれるように弟の名前と、自分の名前を教えた。
女の子が二度ほど名前を唱えた。自分の頭に刻みつけるように。
「――あんたのことも、あの子のことも、私は絶対に忘れないわ」
茶色の、強い意志を持った瞳があきらを見た。
言うなり踵を返して、立ち去ろうとする背中をあきらは思わず呼び止めていた。
「わ、私も名前教えてくれる?」
「……」
振り向いたその子は少し逡巡してから、小さな唇を開いた。
「釘崎野薔薇」
死んでしまった弟のことも、自分のことも。
絶対に忘れないと言ってくれた彼女を、その綺麗な名前と強い眼差しを、あきらはこの先一生、忘れることはないだろう。