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加茂の失敗

髪を引っ張られるような感覚があった。顔をしかめた次の瞬間、ザクッ、と小気味のいい音がして解放される。続いてはらはらと、自分の後ろに何かがばらけて落ちていった。

「あ゛ーーーーーーーっ!!!」
「え?」

建物の陰で組み手の様子を見ていた桃が大声を上げ、こちらに走り寄ってきたのであきらは思わず顔を向けた。今の今まで向かい合っていた男も完全に手を止めて、珍しく目を見開いている。あきらはまだいまいち状況を理解していない。

「加茂くん!!何してんの!!」
「あ、ああ、すまない」
「すまないじゃないよ!?髪は女の命なんだから」

滅多に見ない剣幕で、小さなクラスメイトが加茂に詰め寄っている。
膝を付いて未だ構えていたあきらはそこでようやく後ろを振り向いた。見慣れた色の髪がところどころ束になって、結構な量散らばっている。頭に手をやればすかすかとしていた。どうやら結んでいた髪に、加茂の術式が当たったらしいと理解して、ため息を吐きつつその場で胡座をかいた。

「大丈夫?」
「真依。うん、大丈夫」

災難だったわね、とあきらと散らばった髪を見た真依が同じくため息を吐いた。さすがにいつもの嫌味もなかった。

「まあ安心しなさいな」
「はい?」
「仇は取ってあげるから」

真依はそう言ってにやりと笑い、まだぎゃーぎゃーと加茂を責め立てている桃に加勢しに行ってしまった。

「うわー、楽しそう……」

なんだか加茂が気の毒になってきた。建物の陰に引っ張って行かれながら、若干おろおろしている加茂家の嫡男を見て、あきらは少し哀れに思った。
 

**
 

こんなことで反転術式を使ってもらうわけにも行かないし(というか髪って治るのかもよくわからない)、何よりあきら自身があまり執着していなかったこともあって、髪はそのまま整えてしまうことになった。
歌姫に適当に切って下さいよと頼んだのだがすごく嫌がられたため、美容院に行ってなんとか見れるようにしてもらった。
そうしてできあがった鏡の中の自分をあきらは結構気に入っていたから、大してショックも受けていない。ちょっとびっくりしただけだ。
なのでこの件はこれで終わりと、自分では思っていたのだが。

「悪かった」
「………………」
「私の注意不足だった。高遠の動きに気を取られて制御が甘くなっていた」
「…………もういいって」
「そういうわけには」

桃やら真依やらに相当絞られたらしい加茂にとっては、終わっていない出来事らしい。
美容院から帰ってきて早々捕まり、他に適当な場所もなかったから、自販機の側のベンチに座らされた。
滅多に頭を下げない男のつむじを見るのは、なんだか居心地が悪い。

「真依には責任を感じているなら丸刈りにして誠意を見せろと言われたが」
「うわっ楽しんでるな真依。しなくていいよ」
「しかしそれでは私の気が収まらん」
「被害者の気持ちを優先してほしいんだけど」
「…………」

加茂がむっとして黙った。唇が一文字に結ばれている。あきらはため息を吐いて視線を逸らした。

「大体、前に組み手で怪我した時はそんなに気にしてなかったじゃん。髪より骨折の方が大事だし腹立ったっつーの」
「それは反転術式で治してもらっただろう。それにあの時は私の方がひどい怪我だった」
「…………アレ、そうだっけ」
「そうだ。……髪は元通りにはならない」

悪かった、と、もう一度辛気くさい顔で加茂が言った。

「あーもう、めんどくさっ」
「……」
「いいよ髪なんか。生きてりゃいくらでも伸びるんだしさ」

あっでも美容院代は払えよ、あとジュースおごって、と急に真面目な顔になってあきらは続けた。
今度は加茂がため息を吐く番だった。

「何よ」
「お前といると、悩むのが馬鹿らしくなってくるなと」
「喧嘩売ってる?」

あきらが買えと言ったジュースを買って、あきらに手渡しながら、すっかりいつもの調子に戻った加茂が口を開いた。

「……生きていれば伸びると言ったな」
「うん」
「では、元通り伸びるまで、私が高遠を守ろう」
「…………なにそれ」

そういう重い男って嫌われるよ、とあきらは親切心から忠告してやったが、加茂は気にもしていないようだった。