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医学生家入

昨日は眠れなかった。
布団に入って目は閉じたし、牛乳を温めて飲んでみたりもしたけれど効果は全くなく、結果今朝のあきらの目の下には濃い隈ができている。
教室であきらの顔を見るなり、同級の家入は目を瞬いてどうしたんだと言った。

「……寝れなかった」
「それはわかる」
「ていうかなんであんたは平気なのよ」

のんびりとコーヒーを飲んでいる家入はいつも通りで、それに理不尽だと思いつつ腹が立ったあきらが八つ当たりのような口をきいた。
家入が首を傾げる。

「何が?」
「はあ?」

まさか忘れているのか。訝しげに眉を顰めたあきらが、少し声を潜めて、実習でしょ、と言った。

「ああ」

納得したような相槌は打ったものの、特に何とも思っている様子もない友人にあきらは溜息を吐く。何がああよ、と呆れた。

今日は実習の日だ。
あきらや家入が在籍する医学部には、他の大多数の大学と同じように、人体の解剖実習がある。献体として提供された遺体を、そしてその内にあるものを、写真や文献などではなく、直接目にして学ぶのだ。
あきらがそれに立ち会うのは今日が初めてだ。ということは家入も勿論そのはずで、なのに大して気負っていない様子なのが不思議なくらいだった。

あきらは眠れなかったのに。

「図太いというか何というか」

ぶちぶちと悔しそうにも見える表情で言うあきらを家入はいつも通りの顔で眺めている。
ふむ、と頷いて、口を開いた。

「人の遺体が怖いのか」
「はあ!?」

んなわけないでしょ!とつい大きな声で否定してしまって、しまったとあきらは思う。
しかしそれが怖いわけではないのだ。医者を志すと決めた日に、いつかはそういうことがあると覚悟していたし、何よりあきらは外科医を目指しているから、いずれは生きた人の体にさえメスを入れることになる。怖いなんて甘えた事は言っていられない。

けれど、今までろくに人の死んだ姿を見たことがない自分が、それを目にした時にどう思うのかがわからなくて、それだけが不安だった。

医学生のためと遺体を提供してくれた人や、その家族にあきらはとても感謝しているのに、その恩に背くような感情を抱くのではないかと、それが怖い。

「結局怖いんじゃないか」
「うるさい。……あんたはどうなのよ」

家入は少し考えると、そうだな、と間を置いた。

「同意を得ての解剖は初めてだよ。悪くないな」
「…………は?」
「冗談だよ」

家入はそれだけ言うと、あきらから目を逸らす。
冗談とは言いながら、表情がふざけているようなものには見えなかったから、あきらは不謹慎だと責めるチャンスをなくしてしまった。

「……あんたが言うと、冗談に聞こえない」

苦虫を噛み潰したような顔をしたあきらに、家入はやっぱり飄々とした態度で、そうかな、と一言を返した。