現場が歓楽街を少し外れたところにあるラブホテルだと聞かされた時、あきらははあこれが学生じゃなくなるということか、と感心に似た気持ちを覚えた。
高専に在学した四年間、深夜の廃墟やら死体の残る現場などには数え切れないほど出向いたけれども、そういった不健全な場所には連れて行かれたことがない。
ラブホなんだったら欲やらなんやらの負の感情がそれはもう渦巻いているのだろうから、呪いも当然出るだろう。
学生に振らない分、今の自分のように新米呪術師がやられていたのだろうな、と納得した。
「間を開けて二度、同じラブホで男女が殺されてるっス。普通の刺殺だったので、一度目は殺人事件って扱いでしたが、全く同じ手口の二度目があって」
「呪霊の可能性が出てきたわけね」
「そうっス。残穢も確認済み、同じ呪霊の仕業の可能性が濃厚っスね。ただ……」
「ただ?」
ミラー越しに新田と目が合った。何故か気まずそうに目を逸らされ、あきらは首を傾げる。
「……呪霊の出現条件が謎っス」
「了解。それはこっちで調べるので」
なんだそういうことか、と思った。その先は呪術師の仕事だ。呪霊に遭遇しても対応する手段を持たない補助監督や窓が頑張らないといけないようなところではない。
大丈夫ですよと笑いかけると鏡の中で小さくなった新田が苦笑いをした。
やっぱり違和感がある。
自分は何か新田にしただろうか。考えながらも、今回の相棒になる同期に目を向けた。
「猪野」
「んー?」
頬杖をついて窓の外を見ながら、猪野が適当な返事をした。卒業してしばらく経っても変わらない気の抜けた対応に、あきらが眉を寄せる。
「んーじゃないよ。聞いてた?」
「聞いてた聞いてた」
「まずは調査だからね」
「わかってるって」
本当かどうかわからない返事にため息を吐く。いっつもこうだ。同期として学生時代から実習を多くこなしているし、術師としては実力のある部類だと思うが、どうもかっちりしていないし、調子がいい。呪霊を相手にするだけならともかく、調査からとなるとあきらがメインで動くことになるだろう。
「……どうせなら七海さんとかがよかったなあ」
「え」
当然のように出た独り言に、猪野がようやくあきらの方を見た。びっくりしたように目を見開いている。
「何?」
「え、いや、何もないけど」
「は?」
どう見ても何もなさそうな態度ではない。けれどそれきり猪野はまた外を見て、あきらの何かあるなら言えという圧には屈しなかった。
現場のホテルにたどり着き、車の外に出ると、そこにはいかにもというような建物があった。
ホテルなんとかという書体がまずいかがわしいし、夜ならそれなりに淫靡な雰囲気とやらを醸し出すのかもしれない外観も、昼の光に晒されてはただただ汚らしいだけだ。こういうもんかあ、と内心であきらは思った。
「コレが事件のあった部屋の鍵っス」
「あ、はい。猪野、行くよ」
「うん」
まさかこの男とラブホに入る日が来るとは。
新田から受け取った鍵を握って、あきらは仕事だしと考えながらホテルの中へと進む。
「高遠さん」
声をかけられた。振り向くと新田がお腹が痛いのを我慢しているような顔をしていたので、え、と口から声が出る。
「体調が悪いなら車で休んでてくれたら」
「いや、あの、大丈夫なんスけど、その……」
ちらり、と猪野とあきらを見比べた。また苦しげに唸る。
「……その、ごめんなさいっス」
「はい?」
「あきら、行くぞー」
謝罪の意味を詳しく聞こうとしたところで、猪野ががしっとあきらの腕を掴んできた。そのままぐいぐいと引っ張って、止める間もなく建物の中に入ってしまう。
後で聞くかと諦めて同期の後に続いて歩く。
敷き詰められた絨毯が足音を吸収していたし、他に客なんているはずもない。静かな中を二人は無言で目的の部屋まで歩いた。
「……ここか」
部屋の番号を確認し、あきらはさっき受け取った鍵で扉を開けた。
まずあきらが入り、猪野が後に続く。ラブホなんて入ったのは初めてなので、ちょっと好奇心が疼いたが、あきらはそれを押し殺した。注意深く部屋内の残穢を探っている間に、「おー」という声がする。
猪野がなぜかガラス張りになっている浴室を見て声を上げていた。あきらは額を抑え、「やっぱり七海さんがよかった」とぼやいた。
「あきらさあ」
アメニティの確認だなんて女子のようなことをやりながら、猪野がこちらを見ずに問いかける。
「何?」
「七海サンのこと好きなの?」
「はあ?」
どうして今、そんな話になるのだ。
思いっきり嫌そうな顔をしたあきらが口を開いた。
「あんたと七海さんのどっちと組みたいかだったら七海さんに決まってるでしょ。何でそんな話になるの」
「だってさあ」
こちらに歩いてきた猪野がちょっと拗ねたような表情をしていた。
「あきら、本当に呪霊の出現条件わかんないわけ?」
「…………はあ?」
また脈絡がない。
車での話をやっぱり聞いていなかったのだろうか。
「不明だって言ってたでしょ」
「いやでもさあ、わかるじゃん」
「何なの?いい加減怒るよ。わかってるなら言ってよ」
「…………」
帽子の上からポリポリと頭をかきながら、猪野があきらを見た。
「殺されたのは二回とも男女揃ってでしょ」
「そうだよ」
「しかも衣類なしのマッパ」
「……」
「ここはラブホ」
「………………待って」
あきらはみるみるうちにさっきの新田のような、お腹が猛烈に痛むときのような表情になった。暑くもないのに汗が額に浮かんでいる。
「セックスでしょ?」
「待ってって言ったじゃん!!」
あきらはその場にしゃがみこんだ。新田の態度、なんとなく感じていた違和感、猪野の言ったとおりならすんなり納得がいく。いや納得なんてしたくない。するものか。
「学生じゃなくなるってこういうことなの!?」
命どころか貞操まで守ってくれなくなるとか、そんなことってある!?
あきらがその場で吠えるのを、猪野はやっぱり頭をかきながら、困ったような顔で見つめていた。