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浮気がバレた太刀川

大学でひっかけた女を部屋に連れ込んでいた。ら、あきらがやってきた。
部屋の入り口に立ち尽くしてぽかんと口を開けたあきらに、そういえばこの間合い鍵を渡したなあと太刀川は思い出した。しくじった。これはやばい。
踵を返した背中を追いかけ上半身を起こすと、白い腕が行かないでと濡れた声で引き留めてくる。それを無視して後を追う。玄関のドアノブに手をかけたあきらの腕を、間一髪で太刀川が捕らえた。

「ちょっと待て」
「離して」
「落ちつけって、な?」
「……あんたねえ」

ぎろりとあきらが鋭い目を向けてくる。模擬戦の時のそれに近い、つまり刃を向け、殺しあいをする時の目だ。

「状況は見たままでしょうが。落ち着いてどうするっていうの? 私が何か誤解してるとでも?」
「いや、まあ、うん」

まさにその通りなので言葉が出てこない。曖昧に目を逸らした太刀川に、あきらが大きくため息を吐く。「……殴っていい?」拳がぎゅっと握られたのを見て、太刀川は息を飲んだ。

 

「あ、太刀川さん。お疲れさまでーす……うわ」

自隊の待機室に入ると、ソファーの上でくつろいでいた出水が太刀川の方に視線を向けた。顔を見てぎょっと目を丸くする。

「それどうしたんすか!? やべー」

太刀川の顔には青紫の痣があった。これ以上なくわかりやすい、殴られた痕である。戦闘体では言わずもがなに強いが、生身もそれなりに鍛えているはずの所属隊の隊長を、いったい誰がこんな風にしたのだろう。

「どうしたって、まあ、あれだ」返答ははっきりしない。出水がぴんときたままに尋ねる。

「あきらさんと喧嘩でもした?」
「……した。けど、これは──」

太刀川は昨日のことを思い返した。
殴っていいかと聞きながらも、あきらは結局拳をふるうことはしなかった。ただ大きくため息をもう一度ついて、『やっぱいいや』と独り言のように言って。それで静かに、玄関から出て行ったのである。
だからこの痣はあきらがやったのではない。やったのは、部屋に残ったもう一人の女だ。殴りも詰りもしないで出て行ったあきらに、捨てられたような見切られたような気持ちを抱えて部屋に戻ったら、鬼のような形相をした女に目覚ましを投げつけられたのである。避けるなんて頭はなく、太刀川はそれの直撃を受けた。ちなみに目覚ましは壊れて、だから今日は二限に間に合わなかった。

「……あいつじゃない」
「へえ。まあさっさと謝って仲直りしてくださいよ。どうせ太刀川さんが悪いんでしょ」

まさにその通りだった。でも謝っても、今回ばかりは丸く収まりそうにない。

どうにも気が塞ぐ。気晴らしにランク戦でもしようと思って、太刀川は個人戦のブースに向かった。痣が目立つのかすれ違う人間が一々太刀川を二度見する。人が多くなり始めたC級ブースで、迅に会った。

「うわあ」太刀川を見て目を丸くする。

「どうしたのそれ」と聞かれたので、「あきらと喧嘩した」と手短に答えた。迅はなるほど、と一つ頷いた。

「で、誰にやられたの」

迅が重ねて問う。今の流れならあきらにやられたと思いそうなところだが、と内心で首を傾げながら、「だからあきらと喧嘩したんだって」と言った。迅がきょとんとして太刀川を見た。

「え、でもあきらさん、喧嘩したからって人のこと殴んないでしょ」

疑いなく言い切った。
迅の言葉は当たっている。あきらは太刀川を殴らなかった。それは本当なのだが──なぜか腹が立った。太刀川は詳しい説明をしないまま迅をブースに追いやり、ランク戦の相手をさせた。

まだスコーピオンでの戦いに勘が戻っていないと思われる迅を下し、それでも太刀川の気は収まらなかった。もっと戦えば気が晴れるかと思ったのに迅はこれから任務があると言う。画面を見ても個人ランク一位の太刀川を満足させてくれるような相手は見あたらない。仕方なくブースを出て、ラウンジへと向かう。風間や米屋が見つかればいいなと思った。

「太刀川」

ちらちらと自分の顔に集まる視線を努めて無視しながら、買ったコーヒーをちびちび飲んでいた時だった。聞き慣れた高い声に呼ばれて、勢いよくそっちを見る。
「ぶっ」何かを顔に投げつけられて、反射的に目を閉じた。薬品の匂いが鼻を掠める。

「あきら」
「……」

目を開けた先にはあきらが立っていた。仏頂面をしている。「それ」あきらが床を指さす。さっき顔に当たったものだ。拾い上げてみると湿布だった。あきらを見上げる。

「……くれるのか」
「早く治して」
「何、心配したわけ」
「違う。迷惑なの。あんたがそのまま歩き回るせいでね、私が殴ったって噂が広まってんのよ」

私殴ってないのになんでそんなもん作ってんの。本部長にまで気を遣われた、とご立腹のあきらが言った。次会ったとき忍田さんに怒られるな、と太刀川はぼんやり思う。
手に持った湿布をじっと見つめていたらあきらが「貼りなさいよ」と苛立ち混じりに促した。

「……俺じゃ綺麗に貼れないなと思って」
「はあ?」
「あきら、貼ってくれ」

湿布を差し出すとあきらは眉間に皺を寄せたままそれを取った。透明のビニールをぺりぺりと剥がして、太刀川に近づく。
すかさず肩を掴んで体を引き寄せた。「えっ」驚いてうっすら開いたあきらの唇に、自分のそれを押しつける。それとなくこちらを伺っていたギャラリーがざわめくのがわかった。唇を舐めて離れ、あきらの顔を見る。呆けた顔は理解が追いつくにつれてどんどん怒りに染まり、太刀川をこれでもかと睨む。

「……」あきらが無言で唇を拭った。そして次の瞬間。

「……ぐっ……!!」

一撃。鳩尾に拳が叩き込まれて太刀川は呻いた。庇うように前屈みになったところに、もう一発、畳みかけるように拳が迫るのが、やけにゆっくり見えた。
女とはいえ日々鍛錬に勤しみ、ついでに人体の急所にも通じているあきらの拳は目覚まし時計なんて目じゃないくらいに重い。顎に衝撃を受けて意識を飛ばすまでの一瞬、太刀川が感じたのは、ほら見ろ、こいつも殴るときは殴るぞ、という優越感にも似たことだった。