ビルの壁面を蹴り、黒い人影に向かって剣を振り抜いた瞬間、腹に重い一撃が入った。黒いトリオンの煙を噴き上げながら、鉄砲で撃たれた鳥みたいに、あきらはぼとりと地面に落ちる。
弧月を手放さないようにするのが精一杯だった。受け身も取れずに這い蹲り、起きあがろうと地面に左手をついた視界の端に、こつ、と音を鳴らす靴の先が見えた。
「お前……」
低い、落ち着いた声が投げかけられる。
「──弱いな」
「……」
あっけらかんと言われ、そりゃああんたにとったら大体の人間は弱いでしょうよ、と内心で悪態をつく。きっと睨み上げたら、対戦相手であるところの太刀川が、この組織で間違いなくトップレベルの戦闘力を誇る男が、興味なさげにあきらを見下ろしていた。
ぴきぴきと音を立てて、斬られた腹を中心に、トリオン体の限界を示すヒビが広がっていく。漏れ出るトリオンの煙は、止まる様子がない。
──けれど。
あきらの武器は、未だ右手の中に残っているし。
それを振るう力が、残っていないわけでもないのだった。
どうもとどめを刺す気がないらしい太刀川は、あきらの前に無防備に立っている。
感覚を確かめるように、指にゆっくりと力を込めた。たぶん太刀川の角度からだと体に隠れて、右手の先は見えないだろう。
「まあ怖じ気付いてないとこは評価してやるけど、それにしたってがむしゃらすぎる」
太刀川が何か喋っている。耳にはちっとも入らない。
小指から順番に。
薬指、中指、人差し指、
「もっと考えて動いた方がいい」
──親指。
力を込めきったその刹那、あきらは躍動した。
筋肉をバネのように使って、右腕を力一杯斜め上に向かって振り払う。居合いのような格好になった。体を支えていた自分の左腕を斬り飛ばすことを厭わずに、目算した太刀川の首元を狙い、一撃を繰り出す。
「おおっ」
──しかしいけ好かない首を切り飛ばすはずだった刃は、皮の表面を切りつけただけで終わってしまった。太刀川が間一髪で身を引いたのだ。
ごてんと反動でバランスを崩し、あきらが地に転がる。そうしながら見上げた太刀川は、眠そうにしていた目を珍しく見開いて、ぱちぱちと瞬きをしていた。首に一筋線が入っていて──そこから本当にわずかだけ、トリオンが流れる。
対するあきらは左腕までなくしてしまった。太刀川に与えたダメージより、自分に自分が与えたダメージの方がずっと大きいなんて、バカみたいな話だ。
体にヒビの入る速度が上がる。ピシピシと体が割れていく音がする。
──負けだ負けだ。
「……おい、お前」
今度こそ諦めて、転がったまま動かないあきらに、声がかかった。「なに」やる気なく目をやると、さっきまでとは雰囲気の違う太刀川の顔が見えて、眉を顰めた。
「今さあ」
「……」
「お前が旋空でも使ってれば」
──俺は死んでたな。
言って、太刀川が上機嫌に笑った。高揚が見て取れる。少しだけ、あきらは怯んだ。
「……使ってないし。死んでないでしょ」
終わった勝負事に、仮定の話に意味なんてあるものか。できるだけ落ち着いた声で言ってやれば、「まあまあ」と太刀川が返す。なにがまあまあなのかわからない。
「えーと、高遠だっけか。覚えとくよ」
言いながら、太刀川が右手で弧月を抜き払う。もう十秒もしないで勝手に死ぬだろうあきらに、わざわざその切っ先を向ける。
「悪趣味」とあきらは心底嫌そうな顔をした。太刀川は気にした様子もなく、「またやろうぜ」と、笑った。