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夏油が帰ってきた

「疲れた……」

実習から高専に戻り、送迎を担当してくれた補助監督に挨拶をして別れた途端、あきらはそう言って見るからに萎れた。

「ちゃんと歩いてください」
「はいはい……」
「……寮まであともう少しですから」

七海の注意に、はいはいー、と語尾をのばしてもう一度、返事をする。と同時に、ふらついたあきらの腕をとっさに掴んで支えた。ありがと、と短く礼を言ったあきらに、少しの罪悪感が沸き上がってくる。

足を引っ張っている自覚はあった。
自分はまだ身の内に刻まれているという術式の扱いに慣れていないし、なんならその全貌も把握していないのだ。その上ついこの間まで体を使って戦うなどということとは無縁の生活をしていたから、どうしても動きがもたつくし、当然下手を打つ。全く役に立てなかったというわけではないけれど、それでもフォローに回ったあきらは、相当疲労が溜まっただろう。

けれどあきらは、そのことで七海に文句を言ったりはしなかった。

「まあ最初は仕方ないって」

さきほど車の中で、なんとなく落ち込んだ様子の七海にあきらはそう声をかけた。

「先輩たちに比べたら全然マシ」

重ねてこうも言った。
その眼差しには嘘がなかったし、その先輩たちと組んだときにどうなるのかも七海は数回の任務で既に把握していたから、逆に同情のようなものを覚えたくらいだった。最初はどうかと思ったが、この同級生も案外悪い人間ではないらしい、と七海は思い始めている。

長い階段を上りきって、視界が開けた時だった。
同じように寮の方向へと向かう、知らない背中が数十メートル先に見えた。
黒髪に黒尽くめの高専の制服。

すぐ上の学年は例外だが、三年から上の生徒とはあまり顔を合わせる機会がないので、そんな類だろうと七海は思った。

ふと隣を歩いていたあきらがいないのに気づく。振り返ると、あきらは七海より三歩ほど後ろで足を止めている。

目を大きく見開いて、「げ」と一音を漏らした。

「……どうかしましたか?」
「夏油せんぱーーーーい!!」

初めて聞くくらいの大声だった。
あきらは疲れもどこへやら、呪霊を倒すときにも匹敵する早さで走り出した。

あっという間に距離を詰めて、驚いてこちらを振り返っていた学生に飛びつく。
早足で追いかけた七海の耳に、やりとりが聞こえる。

「夏油先輩!!」
「あああきら、今日も元気で何よりだよ」
「おかえりなさい!!!」
「ただいま」

優しく笑いながら、夏油先輩と呼ばれた男はあきらの頭を撫でた。あきらが素直に喜ぶのを見て、何故か面白くない、という気持ちになった自分に七海は驚いた。

「先輩がいない間、大変だったんですよ、五条先輩も家入先輩もひどくて、」
「うんうん」
「組み手では手加減してくれないしいっぱいジュースとかお菓子とか奢らされて出費がすごいし家入先輩は怪我治してくれるけど怪我しないようにみたいなことは一切考えてくれないし、いやでも今回は途中から七海が来たので、あっ夏油先輩、七海です」
「七海?」

あきらは愚痴の途中でやっと七海の存在を思い出したようだった。いかにも忘れていましたみたいな紹介をされると当然七海も苛立ちを覚える。しかしさっきの不可解な気持ちは紛れて消えたので、今はこれでよかったのかもしれない。

あきらが唯一手放しで尊敬しているらしい夏油が、そこでようやくこちらを見た。

「やあ、初めまして。新しい一年なのかな」
「……はい。七海建人です。よろしくお願いします」
「私は夏油傑というんだ。これからよろしく」

初めて、まともな挨拶をされた。
言葉が出ない。

「ほら、夏油先輩はまともでしょ」

未だ夏油から離れないあきらが勝ち誇ったように言う。否定はできないが、賛同も素直にはしたくないと七海は思った。