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逆行2

結局悟が、呪術高専に行きたいとわがままを言ったのはそれ一度きりのことだった。

地元の高校に進学した主の面倒をこれまで通り見るうちに、そんなことがあったことも忘れていたあきらが、次に呪術高専の単語を聞いたのは、二年ほど経った2006年のある日のことである。

「──悟に高専から仕事の依頼があった。どうも天元からの指名らしい。星漿体の護衛だそうだ」

そう告げたのは五条家の現当主だ。難しい顔をした壮年の男性は、目の前に座らせた自分の息子をちらりと見、それからその後ろに控えて座るあきらの方に何かを訴えかけるような視線を投げた。うまく任務を受けさせろと、そういう意図だろう。
五条悟という少年は、実力は飛び抜けているが、時々突拍子もないわがままを言い出す子供である。断れないはずの任務を断固拒否しても全くおかしくはない。

あきらは小さく頷くと、「悟様」と主を呼んだ。いや、呼ぼうとしたが、それより前に少年が口を開いた。

「わかった。行けばいいんだろ」

素直な返答に、あきらと当主が目を丸くする。驚いているこちらには構わず、ただし、と悟が続けた。

「俺一人でなら、やる。他には誰もつけんなって高専のヤツに言っといて」

その声は珍しく真剣な響きを持っていて、あきらはさらに驚く。「熱でもあるのか、悟」と心配そうに当主が言うのも、無理はないと思った。

 

任務の開始はできるだけ早く、とのことだったので、悟はすぐに京都を発つことになった。もちろんこのある意味箱入りの少年を一人で行かせるわけにはいかないので、あきらも付き添いと言うことで同行する。新幹線のグリーン車の広々とした座席に、着慣れた和服姿で座る少年は、あきらの隣で窓の外を流れる景色を眺めている。
東京に着けば、そこには高専の補助監督が待っているという話だった。一度呪術高専に行って、任務の詳しい内容を聞いてから星漿体のいる現地に向かう、という流れだ。

「悟様」
「……何」
「もうすぐ車内販売があると思いますが、アイスはいりますか」
「……いる」

なぜか少し沈んだような、感傷に浸っているような様子ではあったが、それでも甘い物を食べる元気はあるようなのであきらはほっとする。少ししてカートを押しながら回ってきた女性に声をかけ、買ったアイスを差し出した。

「なあ」

堅すぎるアイスをやる気なくスプーンでつつきながら、悟が口を開いた。こちらも一生懸命自分の分のアイスをつつきながら、あきらが「はい?」と答える。

「先謝っとく。マジでごめん」
「……え?」

不吉すぎる言葉にあきらが顔を引き攣らせる。それ以上何も言わず、悟はあきらと目を合わせずに、自分のアイスに集中するふりをしていた。

 

**

 

結論から言うと、任務は失敗だった。

居場所が流出し、暗殺の危機にある星漿体を刺客から完璧に守って見せた悟は、その後さて同化当日、となったその日に星漿体とそのメイドを連れて行方をくらましたのだ。あきらにも告げずに。
姿が見えないとなったときのいたたまれなさと言ったら。五条家の面目だって丸潰れだ。本当に何をしているのかと思う。

「悟様!」

同化に絶対に間に合わない時刻──翌朝になってひょっこり帰ってきた悟は、さすがに怒り心頭のあきらに少し後ずさった。それくらいの迫力はあったらしい。
悟の後ろに隠れて恐々とこちらを窺っている星漿体の少女に視線をやりながら、「自分が何をしたかわかっているんですか!」と叱りつける。

悟はあ〜としばらく視線をさまよわせ、たっぷり時間が経ってから、「天内理子の要望にはすべて答えろって言ったのは天元様じゃん」と無理のある屁理屈をこねた。頭に血の昇ったあきらが拳をぎりぎりと握った。
気配を察して捕捉したのが、高専の生徒たちが訓練に使う場所の近くだったから、真面目な生徒たちがなんだなんだとこちらを見ていた。これ以上恥をさらすわけには、と思いつつも感情が押さえきれない。しばらく目を瞑って落ち着く努力をし、ゆっくりと目を開ける。

「──とにかく、報告に参りましょう。……悟様!?聞いてますか!?」

いつのまにかそっぽを向いていた悟を叱ると、「わかったわかった」とある程度素直に答えた。
まったく当主様にどう報告すればいいのだろう。今回の件での総監部からのペナルティは、などと考えながら、のろのろと歩き出した悟の後ろについて行く。あきらはなんとなく、さっき悟が視線を向けていた方向へと目をやる。遠くに小さく、きっと高専の生徒だろう黒髪の少年と、並んで歩く少女の後ろ姿が見えた。