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七海と先輩

それなりにまともな先輩だったから、それなりに慕っていた。
高遠あきらに対する七海の評価はそれに尽きる。
先輩後輩として過ごした四年間、実習で危ないところを助けられたこともあったし、庇われたことも守られたことも覚えていないくらいにはあったから、少なからず恩もあった。
だからそれを決めたとき、七海はごく自然にあきらのことを思い浮かべた。
一応報告しておくか、と思うことができた。

「呪術師を辞めます」

とうに卒業したあきらも呪術師としては高専に所属しているので、たまには顔を出すし、会うこともある。

久々に顔を見たというのに挨拶もろくにせず、相談でもなんでもない決定事項を告げた後輩をあきらは目を丸くして見た。
これおみやげ、と差し出す途中だった紙袋をぴたりと止めて、まじまじと七海を見つめ、それから一言。

「そっか」

そして何でもなかったように、今度こそ紙袋を七海に押しつける。みんなで分けて、と付け加えることも忘れなかった。
七海はありがとうございますと一旦それを受け取って、「意外です」と話を戻した。

「なにが?」
「……止められるかと思っていたので」
「なるほど」

あきらはちょっと笑って考えるような素振りをした。言葉に迷っているような様子で、うーんと唸って、それからやっと口を開く。

「多分無理だと思うよ、七海は」

眉尻を下げた、困ったような笑い方だった。今度は七海が何がですかと尋ねる番だった。

「七海はねー、呪術師辞められないと思うな」
「辞めます。もう決めましたから」
「うん。でも多分戻ってくるって」
「何を根拠に」

しっかりと固めたはずの決意に水を差された七海が眉を顰める。だというのにあきらはあははと笑って濁し、一層気分を悪くして噛みつこうとした七海の隙をついた。
えいっと軽いかけ声と共に、七海の襟元をあきらの手が掠めていく。
ぶちっという音がした。

「……何するんですか」
「ボタンを取りました」

のんきな口調で言いながら、あきらが手のひらを広げた。そこには確かに、つい先ほどまで七海の襟についていたうずまきのボタンがある。
何がしたいのかはさっぱりわからない。
まともではなさすぎる先輩に紛れていたから目立たなかったが、目の前のこの人も充分奇人の類だったことを七海は思い出して、内心で悪態をついた。

「戻ってくるときに返してあげる」
「戻りません」
「いや、七海みたいな人間はね、呪術師を辞められないよ」

私と一緒、とどこか懐かしそうな顔であきらが言う。

「……あきらさんも、辞めようと思えば、辞められるでしょう」
「んー、無理無理」
「どうしてですか」

あきらは手の上でころころと、自分も昔つけていたそのボタンを転がして遊びながら、ただ一言を残した。

「見えるから」
 

**
 

そうしてあっという間に数年が経って、七海は結局、呪術師として戻ってきた。

――見えるから。

あきらの言葉の通りだった。
術式を使うことをやめ、呪術師として過ごした五年間をなかったことにして一切の関わりを断ち、それでも、見ている世界は変えられず、七海はそれを無視できなかった。
少し関わっただけの人のありがとうの言葉が、七海を呪術師として呼び戻した。

「あはは、ホントに七海だ」

五条に笑われながらも約束を取り付けて、久しぶりに足を踏み入れた高専には、任務帰りのあきらがいた。
五条に話を聞いていたらしい。肝心の本人はまた怒るほどでもない遅刻をするつもりのようで、変わらないなと溜息を吐く。

あきらはだから言ったでしょとかやっぱりねとか言いながらひとしきり笑って、満足した頃、思い出したようにあっと声をあげた。

「ボタンどこやったっけ」

いりません、と言えばえぇ、と不満げに口を尖らせる。どうでもいいことをよく覚えているものだ。

「あれはあなたが持っていてください」

続いた言葉にあきらはちょっと目を丸くして、それからまた笑う。わかった、とだけ答えたあきらは、七海の目にはやけに嬉しそうに見えた。