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帰ってきた人/2006年 6月

がらりと教室の扉を開けると、不自然なほどしっかりと席に着いた受け持ちの生徒たちが、やはり不自然なほどの澄まし顔で夜蛾を見つめてきた。
また何か騒ぎを起こしかけていたのかもしれないが、それを知る術はない。とりあえず眉間に皺を寄せ、ひとつ息を吐いてから夜蛾は教壇に立つ。

「今回の任務は、」

言葉を切り生徒たちの顔を見渡すと、やけにそわそわとした様子の女子生徒と目が合った。健康的に輝く瞳は期待に満ちていて、夜蛾は傍目にはわからないほど微かに、口の端を持ち上げる。

「——あきら単独で行ってもらう」
「ヤッター!」

待ちわびた言葉を聞いた女生徒——高遠あきらが、よっしゃあとガッツポーズをした。両端の同期たちにはいはいと呆れたような視線を向けられても、気にした様子はない。

「やっとか〜」
「もう何回もぬか喜びさせられてたからね」
「なかなか手頃な感じの任務がなかったんだろ」

それでもなんとなく、会話には祝いの雰囲気があった。それもそのはず、高遠あきらは二年生の若輩ながら、しばらく前に準一級へと昇級した生徒であり、そこからの初の単独任務となると、つまり——

「これ成功したら一級だよね!?」
「……まあ、その可能性は高い」

嬉しげに念を押してくるあきらに、夜蛾が冷静に答えた。あきらはやはりわーいと喜んでいて、失敗するなんて考えはそもそもなさそうだ。
テンション高く立ち上がったあきらはビシッと隣の席の五条を指さして、「もう弱いって言わせないから!」と宣言している。

「……まだ昇級してねーし」

いーっと歯を剥いて五条が答えた。「するし!」と返したあきらに、「したとしても俺より下だし」と余計なことを言う。

「まあまあ」

喧嘩に発展しそうなところを夏油が止めた。家入は暢気に、「昇級したらお祝いしよう」と手を打っている。

「お祝い?」
「ケーキとか酒とかいっぱい買ってきて、騒ぐ」
「硝子」

教師として聞き捨てならない単語が聞こえて、夜蛾が口を挟んだ。ぴゅーっと口笛を吹いてごまかそうとしている。

「いいね。悟の奢りでやろうか」
「はぁ!?」
「あきらじゃ無理だと思ってるんだろう。ならいいじゃないか」
「……別に」

無理とは言ってねえ、と続けようとした声は小さかったので、あきらのじゃあそれで!という声にかき消された。

「……」
「何?」
「何でもねーよ。失敗したら逆にオマエの奢りで残念パーティだからな」
「いいよ失敗しないし」

ふーんと笑ったあきらは楽しそうで、自分の昇級を疑っていない。実のところそれは他の三人も、任務内容の詳細をある程度把握している夜蛾も同じだった。
あきらであれば問題なく帰ってくるだろう、昇級もそう遠くないと踏んでいたから、あきらが補助監督の車に乗り込むときも、夜蛾と家入以外は見送りだってしなかった。

「すぐ帰ってくるから」

ケーキ見繕っといて、というあきらの言葉に家入がまかせろと親指を立てる。ニッと笑って手を振ったあきらを乗せて、車は高専を出発した。
 

**
 

記録——2006年 6月
●●県 ●●市(××山)
任務概要
山内での変死についての調査
その原因と思われる呪霊の祓除
 

**
 

あきらが帰ってこない。調査のために単独で山に入り、そこから消息を絶っている。
連絡が取れなくなってから丸一日が過ぎた頃、途方に暮れた補助監督から連絡が入り、緊急事態と見た夜蛾の判断により、五条と夏油、それから家入の三名があきらの捜索と任務の引継の名目で派遣された。

「任務終わって気が抜けて遭難したとかじゃねーの」
「怪我して動けないとか」
「結構やばいよ、それ」
「……」

道中、楽観的なのか悲観的なのかわからないことを言い合いながら、三人は問題の山にたどり着いた。
補助監督からあきらの任務について詳細を聞いた後、揃って山へと踏み込む。夏油が呪霊を放ち、五条は気配を探る。家入はあきらが怪我をしていた時のための治療要員だ。

現場はそんなに大きくもない山で、五条の目は特別だったから、あきらはすぐに見つかると思われた。
けれど。

「……おかしいな」

山を探すうち遭遇した呪霊を、難なく祓った後に夏油が言った。それなりに強いものだったから取り込むことにしたらしい。黒いボールのようになったそれを見つめて、夏油は眉間に皺を寄せている。

「……何が」
「特徴からしておそらく、この呪霊があきらの任務のターゲットだ」
「……呪霊の討伐もしてないってこと?」
「そうなるね」

嫌な予感が三人を襲う。
しかし口には出さずに、足を進めた。

 

——結局あきらは、そこから何日経っても見つかりはしなかった。

『すぐ帰ってくるから』と笑ったはずの彼女は戻らず、そのうち捜索も打ち切られる。いくら同級生がいなくなったからといって、いつまでもこの件にかかりきりになれるほど、呪術師という職業は暇ではない。

三人のまま、一週間ぶりに帰った高専の教室には空席がひとつ。
埋まることはついになく、それがいつの間にか、二年生の日常になった。
 

**
 

・現地にて担当者(高専二年 高遠あきら)が消息を絶つ
・二日後、同校二年五条悟、夏油傑、家入硝子が派遣され、一週間に亘る捜索が行われたが発見には至らず、呪霊の被害に遭ったと推測される
・残穢、遺体、遺物についてはそのいずれもが発見できなかった

——以上により、高遠あきらを殉職と見なす