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七海と

車を付けてあるいつもの場所まで降りてきたあきらは、見慣れた黒塗りの車と、その側に佇んでいる黒スーツの男を見つけた。あきらは笑顔で手を振って、「伊地知さん!」と声をかける。

伊地知潔高は高専の補助監督だ。呪霊の結界から抜けたあきらが高専に電話を掛けたときに、夜蛾に取り次いでくれたのが彼である。
自分でも状況を把握していなかったとはいえ、怪しさ全開だったはずのあきらの電話を悪戯と切り捨てなかった彼に対して、あきらは深い感謝の念を覚えていた。

にこやかに駆け寄ったあきらに少し困ったように笑って、お疲れさまです高遠さん、と伊地知が応えた。

「すみません、遅くなりました」
「いえ。まだ時間に余裕はありますから。乗ってください」
「はーい」

車のドアを開けて乗り込んだところには先客がいて、あきらはおお、と思う。そういえば同行者がいると、さっきあきらに任務のことを告げた五条が笑っていたことを思い出した。
よろしく、と言い掛けた口をはたと閉じる。こちらを見ようともしない、ちょっと変わったゴーグルをかけたスーツ姿の男性を、じろじろと見た。

「…………七海じゃん!?」
「…………」

運転席に乗り込んだ伊地知が苦笑している。七海と呼ばれた男はハアと大きな溜息を吐いて、「本当だったんですね」と独り言のように言った。

「俄かには信じられない話ですが」
「いくら五条さんでも、そこまで悪趣味な嘘は吐きませんよ」
「そうでしょうか」

自分を無視して会話が交わされているのを聞いたあきらが、むっとして七海とかつての後輩の名前を呼んだ。

「……お久しぶりです」
「私は全然久しぶりじゃないけどね」
「そうでしょうね」

一つ下の後輩は、他の友人達と同じように、あきらのいない間にすっかり大人になっている。あきらの知っている七海よりも、どこかふてぶてしいというか、開き直ったような雰囲気があって少し面白い。これも成長というやつなんだろうか。

「そうか、今日は七海と任務か〜」

あきらが上機嫌に言う。あの七海がねえ、どんだけ強くなったか楽しみだなあと続けたので、七海がまた溜息を吐いた。

「入ったばっかの時はろくに動けなかったもんねえ。…………何?私なんか変なこと言った?」
「一体いつの話をしているんですか」
「は?」
「高遠さん、七海さんは一級術師です」
「げっ」

マジ?と尋ねられた七海が頷く。「あなたより上ですよ」と追い打ちをかけた。

「うっそ……十一年怖いな……」

ショックを受けたらしいあきらが呆然と呟いて車の外を見た。通り過ぎる木々をぼんやり見てたそがれた後、「そうだ」と七海を振り向く。

「なんですか」
「灰原元気?」

最近はほとんど聞くことがない、しかし忘れるはずもない名前を、あきらは平然と口にした。一学年下だった伊地知も彼の名前は覚えているのだろう、運転を続ける背中が強ばる。

「……灰原くんは、もういません」

七海の言葉に、あきらは少し目を見開いて、すっと伏せる。そっかと渇いた声が続いた。窓の外に視線を戻す。
車内には気まずい沈黙が流れた。

「あのさー……」
「はい」
「もしかして、夏油も……」

言い掛けて、やっぱいいやと話を切った。

「……」

五条も家入も、夏油の話をあきらにはしていないらしい。彼らが話さないのであれば、七海も口を噤むべきだろう。

黙り込む七海に、あきらは無理をした明るい口調で、「時間経っちゃったなあ」と言った。少し寂しそうに、あきらの言葉は響いた。

「……そうですね」

七海にはそう答えることしかできない。
あきらの憂いを七海は理解できない。彼女の身に起こったことはあまりにも稀有で、きっと今生きている他の誰とも共有できないに違いない。
七海にわかるのは、置いて行かれた人間の気持ちだけだ。

「それでも——」

捜索に出向いて帰ってきた先輩三人が、珍しく大人しかったあの期間のことを思い出す。
二年の教室の机が、いつまでも四つだったことを。

「——あなたが戻ってきて、良かった」

七海の言葉に、あきらはやはり驚いたような顔をした。あははと笑った声は明るく、記憶の中のそれと寸分も違わない。
二人まとめて、組み手だなんだと面倒を見てもらった春の日のことを、七海は思い出していた。