五条悟にとって、高遠あきらは宿敵のようなものである。
顔を合わせれば些細なことから喧嘩になるし、授業の一環で手合わせをすれば三回に一回は収まりがつかず、最終的に医務室に運び込まれる。お互い力が拮抗していたのがまた悪かった。稀有な力を五条もあきらも自覚していて、かつそれに基づく自信と傲慢さがあったのだ。
要は似たもの同士なのだと、親友には笑われて、そこがまた気に入らなかった。
「悟、起きて」
体を揺らされて目が覚める。
寝起きは悪い方なので五条は目覚めを渋ったが、目の前に見えたのが宿敵の顔だったのに気づいて跳ね起きた。
ざざっと後ろに下がり即座に臨戦態勢に入るあたり、今までの積み重ねが察せられるというものだ。
そうして離れて見た宿敵は、術式を繰り出すでもなく、ただ行き場のなくなった手を見つめてびっくりしている。
「高遠?」
名字を呼んでやっと、はっとしたようにあきらは五条の方を見た。手を引っ込めて、何か考えながら、そうだけど、と心ここにあらずといった様子で答える。
なにかがおかしい。というか、態度以前の問題で、あきらの見た目そのものが知ったものと異なることに、五条はその時やっと気づいた。
まず髪型が全然違う。服も見慣れた制服ではない。顔はあきらだが、頬の丸みが取れていて、なんというか、
「……高遠、老けた?」
大人の女性に見えるのだ。
あきらはそんな五条の言葉に眉を寄せて、「言い方」と怒った。それだって落ち着いていて、いつもの苛烈さが見あたらない。
「……私にはあんたが若返って見えるんだけど」
「はあ?」
ふざけてんのか、と言いたげな声を五条は発した。
「……悟、あんた、今いくつ?」
「…………16」
「…………うわー……」
悩ましげに額を押さえたあきらが唸る。そういうお前はいくつだよと問えば、少し間を置いて26と答えが返った。
つまり、今一緒にいるのは、10年後のあきらということになる。
もうこの時点でこれは夢か何かだと五条は思って、逆に落ち着いてきた。
道理で老けたと思ったよ、といつもの調子で鼻で笑ってやれば、あきらが何故か傷ついたような顔をした。と思ったがすぐに普通の顔に戻り、とにかくここから出ないとと呟いている。ひょっとしたら見間違えだったのかもしれない。
それよりそうだ、この部屋はなんなのだ。
「わからない」
聞けば深刻そうにあきらが答える。
そこでやっと、五条は今いる場所が寮でも家でもないことに気がついた。
五条がついさっきまで眠っていた大きなベッド、その辺に置いてあるソファー、あと小さなテーブル。この部屋にはそんなものしかない。
窓すらなくて、出入り口と思しきものはソファーの向こうにある大きな扉だけだ。
「あれ壊せば出られるんじゃないの」
指をさすと首を横に振られた。もうやってみたらしい。
「じゃあ次は俺がやる」
「……たぶん無理だと思うよ」
「勝手に決めんな」
やっぱり十年経っていてもあきらはあきらだ。苛立ちを覚え、勢いよく立ち上がって扉に向かった。
**
「ウッソだろ……」
五条の術式を以てしても、それほど頑丈に見えない扉はびくともしなかった。ソファーに座り、様子を見ていたあきらがため息を吐いている。
ちょっと休憩だと負け惜しみのような言葉を残し、老けた宿敵の元に歩く。
そこで五条は、ソファーの陰に何か紙が落ちているのを見つけた。
「なんだコレ」
「どうしたの?」
「…………」
中に書いてあった文章を読み、無言であきらに渡す。
「え」と浅いリアクションで、あきらが驚いた。
「もーーー無理でしょ、ふざけんな、なんだこの夢!!」
「ちょっ、悟、落ち着いて」
「落ち着けるか!!!」
その紙には実に簡単にこんなことが書いてあった。
『セックスしないと出られません』と、一言だけ。
「何でよりによってお前なわけ!!まだ家入の方がマシだよ!俺がお前相手に勃つわけないだろ!!」
「……悟、」
「あーもう呼ぶな!大体なんで呼び捨てなんだよ気持ち悪い!!」
放った大声が部屋に響いた。そのまま沈黙が続いて五条は内心違和感を覚える。
普段なら、これだけ言えばあきらは二倍三倍にして、これでもかと五条の癪に障る言葉を打ち返してくるに違いないのだ。なのに今訝しげに見たあきらは沈黙して、下を向いて、何かに耐えるように唇をぎゅっと引き結んでいる。
「……私だって」
地を這うような声であきらが言った。少しほっとしてしまったことをごまかすように、ハ、と鼻で笑う。憎まれ口を叩こうとしたところを、私だって、ともう一度繰り返したあきらに先手を取られた。
「あんたなんか嫌だ」
きっとこちらを睨みつけるあきらの顔は、五条のよく知る憎らしい顔だ。その声だって。
「あんたじゃなくて、悟がいい……」
けれどあきらは、目尻からぼろぼろ涙を流しながら、呼ぶなと言った呼び方で自分を呼んだ。多分自分でない自分の名を。
なんだよそれと、弱い声が五条の喉から出る。目の前のあきらの泣き顔から、どうしても目が離せなかった。